2011年1月30日(日)
「隣人とはだれか」ルカによる福音書10:25~37

 私も子どもの頃からよく聞いてきたイエスのたとえ話である。“よきサマリア人”のように人を助けましょうと教えられた記憶がある。だが、イエスの言いたかったことの本質はそういう事であったのか?
 イエスを殺そうと最初に計略したのは、ユダヤ教指導者たちであったことが聖書から知ることができる。彼らの宗教支配体制を厳しく批判してきたからであった。宗教が人を差別し、分け隔て、苦しめている状況に、イエスは否を突きつけ、真の罪からの解放を告げ知らせてきた。
 イエスの命をつけ狙う律法学者の一人が、またもやイエスを試そうとして訪ねる。「永遠の命を得るにはどうすればよいか」。これは「何が律法の中で第一の掟か」という質問に置き換えて良いだろう。そんなことにはユダヤ教の常識で言われている答が用意されている。「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くしてあなたの神を愛せ。また隣人を自分のように愛せ」。これはイエスが言った言葉ではなく、キリスト教のオリジナルでもない。ユダヤ教の基本信条とされていたものである。だから律法学者は、すらすらと言うことが出来た。その答えに対しイエスは「本気でそれを実行せよ」と言うわけだが、それでも引き下がらず、「では隣人とは誰か」と引き金を引いてしまった律法学者に語ったのが“良きサマリア人”のたとえである。
 そもそも律法学者にとって“隣人”という概念は、ユダヤ人同胞に限られていた。さらにその中の被差別民衆は除外されていたとも言える。そうやって“隣人”に隔ての壁を作っている宗教指導者への批判が、このたとえ話には込められている。隣人を愛せと言っても、結局は人を見殺しにしているのが彼らのやっていることではないか!そもそも“隣人”という枠などを作り、あの人は隣人だ、隣人でないと区別すること自体が間違っているのだ、とイエスは語っていく。
このたとえ話で「隣人になった」のは、ユダヤ人から罪人というレッテルを貼られ、差別されていたサマリア人であった。隣人とは“なるもの”なのである。私たちも、見ず知らずの人であろうとも、遠く離れている人であろうとも、隣人に“なる”ことができるのである。さらに、たとえ話では、隣人として歩み寄ってきたのは、差別されている側のサマリア人であった。私たちが切り捨てている人々からの「隣人になろう」というメッセージを聞き逃していないか、そのことも問われている。

2011年1月23日(日)
「たとえて言うなら」ルカによる福音書8:4~10

 イエスは、その多くの言葉を¢たとえ」で語った。しかもそれは、民衆の生活に根ざしたたとえであった。農業を営む者、日雇い労働者、季節労働者、負債のある者など、とりわけ貧しい生活の中で苦しみを負っている人々に焦点をあわせている。そんな労働者、失業者には、イエスのたとえ話は、我が身のこととして理解をすることができたであろう。だが、弟子を含め、少なからずの人々が「何を言っているのか、さっぱりわからん!」と感じたことであろう。「聞く耳のあるものは聞きなさい」というのは、そんな意味が込められている。
 私たち、そして私にも、イエスのたとえ話の本当の意味は隠されている。私は農業をしてきたこともなく、日雇い仕事をしてきたわけでもない。あるいは借金にまみれて貧困のどん底にあえいできたわけでもない。そんな私には、たとえの説明を説教でする資格があるのだろうかとの葛藤もある。
 「種蒔きのたとえ」には、その説明が聖書に記されている。だが聖書学の世界では、この説明文は、福音書を書いた人が、自分の理解で書き足した者であろうと考えられている。一つの解釈ではあり、それが間違っているとは言えないが、それが本当にイエスの語りたかったことであるかは定かではない。聖書の説明では、このたとえを信仰の問題として扱っている。「良い土地£に落ちた種は御言葉を聴く人であるという。だが、生活苦の中にある人々は、むしろ、道端に落ち、踏みにじられている種や水すら与えられない種、周囲をいばらで囲まれて八方ふさがりの種に我が身を重ねたかもしれない。
 イエスは、たとえで神の国を語ろうとしたということは確かである。神の国は、誰の者か。それはどこにあるのか、誰がそこに入ることができるのか、誰がそれを作り出すことができるのかを語ろうとしている。貧しい者は幸い、悲しむものは幸いと言ったイエス。金持ちが、神の国に入ることは、らくだが針の穴を通るようなものであると言ったイエス。子どもを愛したイエス。そこから考えるならば、イエスが「聞く耳のある者」と言った人々、すなわち、この世の苦しみを知っている人々こそが神の国を受け継ぐのだと語っているのであろう。

2011年1月16日(日)
「赦してください」マタイによる福音書6:12~15

 「我らに罪をおかす者を我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ」と祈る主の祈り。だが現実には私たちは果たしてゆるしあえているのだろうか。主の祈りのなかでも最も難解であると言われ、だからこそその核心部分とも言える。
 そもそも祈りというものは何か。私の経験からも感じてきたことは、祈りは必ず聞かれていると言うことである。しかし、祈りは必ずかなえられるということではない。祈りとは、神との対話である。まず私たちが神に語りかける。それは時に願いであり、時に感謝であり、また懺悔であり、あるいは叫びであるときもある。神に向かって自分の思いの丈を語りかけ、告白し、そして神の声に耳を傾ける。その神の声にさらに応答し、また語りかけていく。その繰り返しである。応答の仕方には、それぞれの人のやりかたがあろう。行動に移す場合もあれば、さらに祈るということもある。懺悔や感謝や願い事をしたならば、その言葉は必然的に自己の生き方に反映されてくるのである。そのような意味では、祈りには厳しさが伴う。祈った責任として、自分の生き方が変えられていかねばならない。
 主の祈りも、主イエスからの厳しい問いかけがなされている。「この地上での神の国が実現することを本当に願っているのか?」「今日必要な食物をのみを求めるのではなく、自分のために食料を貯め込んでいるようなことはないか?」「隣人を赦しているのか?」「自分だけが良かれと思う誘惑に落ち込んでいないか?」と。とりわけ「赦しているのか」との問いは、主イエスからの挑戦とすら言える。
 ただしこの部分の「罪」と祈っている言葉は、聖書では「負い目」と書かれている。原文の言語的にも、精神的な意味だけでなく、むしろ「借金」「負債」を意味する言葉が用いられている。イエスは、私たちの罪を神に対する借りと考えていたのである。全ての人間が等しく神に対して借財を負っているのである。考えて見れば、自然恵みにしても、一つ一つの食べ物にしても、人間には決して返すことのできない神に対する借りだろう。もしそれを誰かが独り占めしようとすれば、借財はなお膨らんでいく。
 私たちの受けている恵みが神からの借りであるならば、人間もお互いの借りによって、いがみ合っていることはないのだ。イエスはそう言っているのだろう。主の祈りをささげるごとに、それを自覚していきたい。

2011年1月9日(日)
「現れ、隠れ」マタイによる福音書2:11~15

 教会暦では1月6日は「公現日(栄光祭)」と記されている。これは占星術の学者が幼な子イエスにであったことを記念する日である。学者たちはヘロデ王の命に従い、星をたよりにベツレヘムへと向かい、そこでイエスと相見えた。しかし、「見つかったら知らせてくれ」というヘロデ王の言葉には従わず、夢のお告げにより「別の道を通って」帰って行った。
 学者らは、救い主が生まれるのは王宮であろうという先入観から解放され、イエスとの出会いにより別の生き方を選んでいったと言えよう。
 一方、イエスとその両親にも夢によるお告げがあり、幼な子を殺そうと狙うヘロデ王から逃れるために、エジプトへと向かった。ルカによる福音書では、イエスが生まれた後、エルサレム神殿へのお参りにいったとされているが、マタイの伝える物語は、まさに裏街道を歩むイエスである。そして、降誕~公現~逃亡~洗礼~宣教~十字架による死~復活~昇天と、現れては隠れるのである。
 イエスは、「狭い道を通って狭い門から入れ」と語っている。実際にイエスの歩んだ道のりはユダヤ教からすれば決して"本道"ではない。それは十字架への道のりが物語っている。全く今までとは違う言葉を語り、人とは違う歩みをした故に殺されていく。
 他の人とは、はずれた道をゆく人が成功する例は、たとえばドラマの中だけではなく、実際に科学者の世界などではよく見受けられることである。人と同じ事をやっていてもダメだということでもあろう。何か自分ができる、他の人との違う道を見つけられるのかを問われてもいる。
 がしかし、考えてみれば、誰一人として同じ人生を歩んでいる者はいない。また人と同じようにしなければならないと言うこともない。それでいいのだと聖書は語っている。「別の道を通っていく」ということを良しとしているのである。そもそも日本においては、クリスチャンが少数派で、別の道を見出したものと言える。ついつい、自分がクリスチャンであることを隠してしまったり、言うことを恐れてしまったりもすることもあろう。しかし、たとえ人とは別の道を選びとり、歩んでいても恐れることはない。そんな神の道を胸を張って生きていきたい

2010年12月26日(日)
「生と老い」ルカによる福音書2:29~32

 ルカ福音書によれば、イエスの両親は、生まれて間もなくのイエスを神殿奉献のためにエルサレムへと連れて行く。そこで出会った一人にシメオンという人物が登場する。¢この人は正しい人で信仰があつく」とされている。既に年老いていたようだが、メシアに会うまでは死なないという信仰に生きていた。シメオンはイエスを見るなり、腕に抱きしめ¢主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。」と賛歌を歌う。
 救いを「知った」からでも、「わかった」からでもない。「見た」というのである。それは単に目で見たと言うことだけではなく、抱きしめて肌で感じ、泣き声を聞き、全ての感覚を通して見たということであろう。五感を通して味わう聖餐にも似た響きをもった信仰の告白と言えよう。
 老いていき、時としては認知症となり、知的理解が失われていくこともある。また、小さな子どもたちに、毎週の礼拝の言葉を全て理解しろと言っても無理なことである。だが、体を通して、感覚を通して感じる信仰があるのだということをシメオンの言葉は教えてくれる。むしろ老いてみて、初めてわかる信仰というものもあるのだろう。元気であったときに見えなかったものが、見えるようになり、感じることのなかったことを感じていく。そうであるならそれは恵みなのではないだろうか。残念ながら、50歳にもならない私には、まだまだわからないことがたくさんあるのだろう。
 誰もが人生の締めくくりに、全てを完成し、なにもかもやり遂げて終わりを迎えるというわけではない。人は年を重ねていけば、今まで出来ていたことが出来なくなり、結局は未達成のまま、やり残したことを抱えながら死を迎えていくことがほとんどであろう。シメオンは、イエスに出会い、「完成」したことを喜んでいるのではない。未完成であろうと、あとの全てを委ねることができる救い主を見たからこそ神をたたえているのである。
 死は、この世での終わりであるが、私たちはさらにその先を見る信仰に生かされている。そのあとを引き受けて下さる方が現れた。その希望のうちに歩んでいけるのである。

2010年12月12日(日)
「久しく待ちにし」イザヤ書11:1~5

 「到来」を意味するアドベントがやってきた。「アドベント」は「アドベンチャー=冒険」と同じ語源を持つ。主の降誕にいたる物語は、まさに冒険の物語だ。
 さて、「久しく待ちにし」と歌われる讃美歌は、アドベントの曲の中でも代表的なものである。苦難の歴史を歩んできたイスラエルの民は、メシアの到来を待ち望んできた。そのメシアは旧約の中で様々な呼称で語られている。「神の知恵」「主」「エッサイの株」「ダビデの鍵」「曙の光」「諸国民の王」そして「インマヌエル」と。新約聖書では、そのメシアはイエスなのだと語る。故に古来よりキリスト教会ではクリスマスの前の一週間前から、毎夕の礼拝で、それら7つの呼称を賛歌の一節ごとに歌にしてきた。その賛歌は「おお、知恵よ「おお、主よ」・・・「おお、インマヌエルよ」と歌われていたという。
 「おお」という言葉には喜び、嘆き、また驚きの響きがある。それほどまでに感嘆を持って主イエスの到来を表現してきた。とはいえ、中世の賛歌は朗唱というようなものであり、今のようなメロディーがついているものではなかったようだ。そこに誰もが歌えるような曲にしていったのは15世紀頃と考えられている。7つの歌を5つにまとめて¢喜べ、喜べ、インマヌエルは、お前のためにお生まれになる」という繰り返しがつけられた。そして『古今賛美歌集』(1861年)に採録されものに手を加えたのが、現在の『讃美歌21』231番の原型となる。この「久しく待ちにし」の楽譜に小節が入っていないのは、そんな古くからの歴史があるからだろう。
 残念ながら、今の讃美歌では「おお」から始まってはいないが、十分に主の到来を待ち望む気持ちは伝わってくる。救いの主よ、来たりて、とらわれの民を解き放ちたまえ、というフレーズが特に私は好きである。旧約の時代であれば、周辺の大国に翻弄される民を解放して下さい!と歌ったのであろうし、イエスの時代であれば、ローマから、また宗教支配体制からの解放を願ったと解されるであろう。そして今も続く様々な抑圧や差別・偏見から私たちを解放して下さいと私たちは賛美することができる。そのような主を¢おお、インマヌエル(神我らと共にいます)」と賛美していきたい。

2010年12月5日(日)
「キリストは明日おいでになる」マタイによる福音書25:34~45

 讃美歌21の244番「キリストは明日おいでになる」。1節「キリストは明日おいでになる この世が闇に閉ざされても・・・」2節「この世は今もあらたまらず・・・墓におさめた時のままだ」3節「世の人は主をかえりみない」4節「明日を持たないひとびとにも 命のパンがあたえられる」5節「・・・約束を果たすために、私たちを用いられる」。
 ここに語られる「明日」というのは、単に翌日のことではなく希望ある未来としての明日のことであろう。作詞者はフレッド・カーン。1929年オランダに生まれ、幼い頃にそのオランダはナチス・ドイツに占領されていく。カーンの父はナチスに対しての抵抗運動の一員で、ユダヤ人を自分の家にかくまったこともあるという。「世」への関心は、父の影響があるかもしれない。16歳で第二次大戦が終わり、その後イギリスの大学に学び、その頃初めてキリスト教に触れていく。会衆派教会の牧師になったカーンは、「この世」への派遣にふさわしい賛美歌が亡いことに気づき、自ら作詞をしていくようになる。そして"ヒム・エクスプロージョン"(直訳すれば「讃美歌爆発」)と言われる運動の中心人物となっていく。その運動の中で生まれていったのが357番、542番、304番、448番などだ。
 キリストは、明日、どのような姿でおいでになるのだろうか。飢えた人として、旅人として、裸の人として、病気の人として、牢にいる人としてくる、と福音書は告げている。それなのに、この世は、クリスマスともなれば美しいイルミネーションやプレゼントに心を奪われてしまう。教会に集っていればいいというものではない。クリスマスキャロルで満足してしまうことすらある。その時、この私の目の前に立って、苦しみ、この私を必要としているキリストを見過ごしてしまっていることはないだろうか。それでは「この世」の人々と変わりはない。むしろキリストの復活の恵みがあるのは、「明日を持たない人々」なのだ、とカーンは問いかける。
 私もクリスマスとなるとわくわくとした子ども時代を過ごした。だかこの讃美歌は¢うまや」にお生まれになった方「約束をはたすために、私たちを用いられる」とのメッセージを私たちに投げかけてくる。

2010年11月21日(日)
「いただきます」マタイによる福音書6:11

 現在十分に栄養の取れない飢餓人口は9億6300万人おり、その数は毎年増加傾向にあるという。およそ7人に1 人が飢えているということになる。そして毎年約890万人、約4秒に1人の割合で飢餓やそれに関連する病気で死亡している。その原因は世界の市場を動かす力と関係をしており、かなり複雑のようだ。単純な原因を3つだけ挙げるなら①食料価格の高騰 ②豊かな国の食料廃棄 ③戦争、というこになろうか。①こそが実に様々なことが絡み合い、また人為的なコントロールも含まれている。②の事柄にしてみれば、たとえば日本では一年間に1,900万トンもの食料が廃棄されているという。魚の骨や野菜・果物の皮なども含まれているとしても消費される食料の3割近くが捨てられていることになる。スーパーやコンビニから出る弁当などよりも、むしろ家庭から出るものの方が多い。また飢餓人口と同じくらいの肥満の人口があるというのだからおかしな話である。
 どうしたら飢餓をなくせるのか。まずは戦争をしないこと。そして食べられる食料を捨てないこと。最近になって「もったいない」という言葉が見直されているが、これはわかりやすくていいかもしれない。そして、食べることができるものを上手に分け合うこと。そのためには、食べ物に感謝をすること。私たちはたくさんの命をいただいているのである。心を込めて「いただきます」と言うことが出来れば簡単には捨てることなどできなくなるのではないだろうか。
 「主の祈り」では「我らの日用の糧を、今日も与えたまえ」と祈っている。毎日毎日の食事を、今日もください、という祈りである。私たちは、本当に心からこの言葉を祈っているだろうか。真剣な祈りになっているだろうか。世界には、本当に今日のごはんを食べることができますようにと心から祈っている人がたくさんいる。なのに食べることが出来ないという人もたくさんいる。その声に耳を傾けていかねばならない。私だけではなく、みんなが今日のごはんを食べることができますように、と祈っていきたい。それが主イエスの求めたことであり、私たちに投げかけた祈りなのであろう。

2010年11月14日(日)
「天窓を開けて」創世記8:1~7

 ノアの箱船の話は、教会に長く通っている人なら誰もが知っている物語であろう。今年の夏野に行われた「子どもの友セミナー」のテーマでそれであった。私はメッセージを作るグループに加わり、小学生から50代の人と共にまずは一人一人のノアの箱船についてのイメージを語り合い、それを絵にしていった。神様がノアの家族とつがいの動物たち以外を全て滅ぼしてリセットしまうというのであるから、これについては「神さま、やりすぎじゃないの」という声もあった。箱船の外で溺れている人を描いたのは40代の人。おおよそ中年のひねくれ者は、そんな意見が多かった。子どもは、大きな船に動物たちが乗っている図を描き、20~30代の若い人はオリーブの葉を加えたハトや赦しのしるしとしての虹を描いていった。
 グループのリーダーであったTさんは、「天窓を開けて、外気を入れ、時に鳥を飛ばして情報を得るところから新しい約束の地が見つかるのではないか」ということを語ってくださった。なるほど、そのような視点は私にも今間でなかったことに気付かされた。
 私たちは時として閉塞感や鬱積した思いを抱え、行きづまり(=息づまり)を感じることがある。ノアとその家族、そして動物たちの乗った船の中にも雨が降り続く中、暗闇が支配していたかもしれない。そんな時、天窓を開いて、外からの風と光を取り入れてみるのがよい。ノアの箱船の物語では、神は「深淵の源と天の窓を閉じられた」とき、雨がやみ、希望の大地が見え始めた。天地創造物語では、深淵とは混沌であり、闇の支配する世界である。神は闇が舞い降りる窓を閉じ、そしてその時、ノアは船の天窓を開けて、鳥を放った。
 天窓と言えば思い出したのが、人々がイエスを取り囲む家の天上に穴を開けて、病気の友人を吊り降ろしたという4人の人の話である。家の中もさぞ、窮屈であったろう。空気もよどんでいたかもしれない。そこに「天窓」を開けてしまった男たちがいた。それは苦しむ者の解放へとつながっていった。新しい神の息吹と光がその「天窓」から差し込んできたのかもしれない。私たちも自らの天窓を開けてみようではないか。

2010年11月7日(日)
「悲しみの必要性」マタイによる福音書5:4

 この一年にSさん、そしてYさんを天に送った。Sさんは17歳、Yさんは47歳であった。若い方の死に接し、私もショックであった。永眠者記念礼拝では特にお二人の魂の平安を祈りつつ、礼拝を守った。ご家族にとってはどれほどの悲しみであったことであろう。
 悲しみとは何か。人間の悲嘆とは何か。これを精神分析の立場から開拓的な研究をした人は、かのフロイトであった。1917年に出した『悲哀とメランコリー』によれば、愛するものを失ったときの心理的反応は決して病理的なものではなく、むしろ正常なものだと言っている。一方、自分自身までもが貧しく、空しい存在となってしまう状態をメランコリー(抑うつ)状態と言った。
 悲しみは悲しみとして感じなければならない。これをフロイトは¢悲哀の仕事」と呼んだ。失われたものを思い起こし、失った対象に対する思慕の思い、うらみ、くやみ、憎しみ、あるいは敵意や罪責感といった「仕事」を達成してこそ悲しみをのりこえて、日常生活に対応できるのだという。1941年に起こった「ココナッツグローブの火災」では、429名もが亡くなり、200名以上が病院に収容された。病院に運ばれた人の多くも家族や友人を失った。その中でも心の目でしっかりと故人を思い浮かべ、面影を抱いて生きようとした人は、順調な回復をしていった。それはきっと苦しいことでもあったに違いない。しかし、その苦しみに耐えることができず、悲しみをかみしめる前に新しい計画に進もうとした人や、自分が慰められることだけしか考えられなかった人は、その後の回復にも困難をきたした。そして治療の決め手はたとえつらくとも悲しみを避けずこれと直面し、これを受容するしかないことを明らかにした。
 イエスは¢悲しむものは幸いだ」と言った。言い換えれば、悲しまなければいけないのだ、悲しみは大切なことだ、ということではないだろうか。イエスは悲しむものの悲しみを共有し、その悲しみを担ってくださるという慰めがある。そこにキリストの癒しというものがあるのではないだろうか。

2010年10月24日(日)
「地上の御国」マタイによる福音書6:10

 御国を来たらせ給え-と言われても何の事やらわからなかったのが子どもの頃である。神の国というものについて何となくわかってきたのは、やっと牧師になってからであったろうか。イエスの福音は、神の国運動とも言われる。「神の国は近づいた」という宣言から始まり、からし種のたとえなど、様々なたとえで神の国を語り、また金持ちが神の国に入ることは難しいと言った。いずれにしても、小さなものの中にこそ、神の国を実現する秘めた力がある、あるいは、その中にすでに神の国は存在しているということを告げている。
 主の祈りのこの部分を直訳すると¢あなたの国が来ますように、あなたの意思が行われますように、天におけるように地にも」となる。イエスは¢神の国はあなたがたの間にある」と言った。神の国は、決して遠いところにあるのではない。私たちの中に、この地上に存在しているのである。また、私たちの死後の世界のことを語っているのでもない。この地」に実現するよう祈ることを主は求めている。
 "名前はマヌエル この手を見て 働いて働いてコーヒーもバナナも わたしたちが作るの 「今我慢をすれば 天国で報われて魂も救われる」 地主はそう言うけど"・・・先日のライブ&トークで歌われた『神様の子ども』の歌詞の一部である。死んだ後に救われるのだから、今は我慢しなさいなどということをイエスは言ったのではない。イエスの癒やしにおいても、その人の現実の中に救いをもたらしていった。パウロは¢ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。」(Ⅰコリント15:52)と言っているが、これが終末=神の国が訪れる時と解釈されがちである。この¢ラッパが・・・」というのは、毎50年目に訪れるヨベルの年に角笛を吹き鳴らすということに由来している(レビ記25:8~10)。ヨベルの年というのは、全ての民が解放され、各々の故郷へと帰ることが許される時を意味している。¢角笛が吹き鳴らされる」ことは、イザヤ書におけるイスラエルの回復を預言する記事にも見られる。決して死後のことを言っているのではなく、この世に実現する解放の宣言を語っているのである。
 あなたがたの間に」こそ神の国があると語ったイエスの言葉に聞きながら、神の国、そして神の意思の実現とがこの地上にもたらされることを祈っていきたい。それが¢主の祈り」の求めていることなのであるから。

2010年10月17日(日)
「人と人と神の三角関係」ヨハネの手紙一3:7~21

 西洋文化が「罪意識の文化」であり、日本は「恥の文化」であると、以前にも話をした。『人と人とのあいだの病理』(木村敏著)によれば、恥ずかしいという感情は相手との関係の状況によって生まれてくるのだという。ふつうは医者の前で裸にならなければいけないときも、それほど恥ずかしいと思わないが、その医者が、親しい人であったり、医者としての立場を越えた感情を伴うような関係であった場合は恥ずかしいと感じるというわけだ。
 人間という言葉は、中国ででき、仏教と一緒に日本へ入ってきた。仏教の経典に書かれている人間という言葉は、本来は中国では文字どおり「人と人との間」という意味で書かれていた。だからむしろ今で言う「世間」に近い。それを日本では間違って、一人一人の人物の意味と解釈した。誤読であるはずなのに誤読と気付かないまま、今でも通ってしまっている。その誤読が日本で通ったところに意味があるという。日本人は、元来、人の本質を、その人個人の内部にあるのではなく、他人との間にみていたのである。この点が個人中心的な西洋人の考え方との決定的に違う。
 キリスト教を始めとする一神教文化では、罪というものを、神様と直接結ばれた個人の良心で感じる。個人の中心部で神と結ばれているのである。日本人の場合は、この神様との関係に当たる部分が、人と人との間のモヤモヤした部分にある。そのモヤモヤした「あいだ」が、キリスト教でいう神様の役割を果たしているという。英語の“I
”や“You”に当たる言葉が日本語ではやたらたくさんあるのも、人と人との間柄によって使い分けているからだろう。
 西洋的な神と人との関係を大切にするありようと日本的な人と人との間を大切にするありようのどちらがいいとか悪いということではない。(ちなみに西洋人全てがそうだというのでもないし、西洋人は人と人との間を全く気にしないのかといえばそういう事ではないのだが。)神と人との関係、また人と人との関係、どちらも大切であり、そのバランスが大事なのだろう。それは聖書にも示されていることである。ヨハネの手紙一には、「神は愛」であり、それは、神が「独り子を世にお遣わしにな」ったことで示された。そして「神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです」と勧める。また「『神を愛している』言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者」だという。「愛」という言葉が、7~21節のなかに29回も出てくるほど、この短い手紙は「愛」を語っている。人と人とが互いに愛し合い、その一人一人の人が神に愛されているという三角関係が大事なのだろう。そしてその愛は、決して一方通行であってはならない。

2010年10月10日(日)
「主の招き」サムエル記上3:1~10

 日本基督教団では10月第2週を神学校日(伝道献身者奨励日)と定めている。教団には1つの教団立神学校(東京神学大学)と5つの認可神学校(農村伝道神学校、日本聖書神学校、東京聖書学校、同志社大学神学部、関西学院大学神学部)がある。現在、それらの学校に所属している学生は合計すれば百数十名になると思うが、その全てが牧師になるというわけではない。とりわけ総合大学の神学部ではクリスチャンでない人も受け入れているので、牧会に出る人はほんの一握りである。また牧師をめざす人においては、いずれの学校でも、それなりに人生経験を重ね、年を重ねた人の入学が増えている傾向があるという。つまりは若い人で牧師になろうという人が少ないわけである。高校を出たばかりの人より、一度、社会に出てから牧師をめざす人の方が一所懸命勉強するのは、私が学生の頃からそうであった。
 私が神学部に入学してから20年が経つ。もう20年か…とも思うし、まだ20年…とも思う。学生の頃は、仲間たちと騒ぎつつも様々な議論もしてきた。今考えれば、なんと知ったかぶりの議論であったことか、と思うのだが、それでも今の自分をつくったベースの一つになっているのは間違いないだろう。だが牧会に出てみて、いかに自分が学んでいなかったか、学んだ事が役に立たないかを思い知らされた。
 牧師にとって最も大切なものは何か…今や「パソコン」と答えたくなる時代である。もちろん、そんな「物」は本質ではないのだが、どこの教会の牧師にしろ、その仕事の大半は事務作業と言っていい。そこへさらに様々な相談を聴いたり、集会の準備、説教の準備をしなければいけない。そのためには多少の勉強も積み重ねていかなければいけない。そんな中で倒れていく牧師も少なくない。昨年の7月に当時、教区副議長であった伊勢牧師が過労で急逝したことは教区の痛みである。うつ病を始めとする心の病に悩む牧師とも多く出会ってきた。牧師のメンタルヘルスは早急の課題であると思う。ここ大阪教区でさえそうなのだが、特に地方教会では、謝儀基準に到底満たない謝儀しか出せない教会がほとんどである。そんな中で、若い人が牧師になりたいと思わないのも無理ないかもしれない。こんな時だからこそ、自分の教会のことだけを考えるのではなく、互いに協力し、支え合っていく必要があろう。
 旧約の祭司や預言者は神の声を聴いていった。神の呼びかけはイスラエル全体への呼びかけであった。今やキリスト教は世界中に広がった。ならば神の呼びかけはこの世界に向けてのものではないか。「主よ、お話しください。僕は聴いております」というサムエルのように、神の声に耳を傾け、人類への語りかけに聴いていくことが「主の招き」に応えていくことと考えている。

2010年10月3日(日)
「天にまします我らの父」マタイによる福音書6:5~9

 9月30日にYさんが天に召されていった。あまりに急なことであり、私も動転してしまった。そんな時、その葬儀において焼香しながらも神に祈りを献げていると少し心が落ち着くのを感じた。
 祈りというものは、全てがその通りに適うものではない。だが、全てが神に聴かれている。むしろ、「隠れたことを見ておられる」神が、イエスの言葉によって示されている。祈りは言葉数が多ければいいというものでもないとイエスは言う。言葉にしなくても、言葉にならなくとも、必要なものを知っていてくださるのだという。おそらく、本当の思いというものは、言葉に出来ないことの方が多いのではないだろうか。だがそのような「隠れた」思いも聴いてくださるのが神様である。そういえば、子どもの頃から教会学校に連れて行かされていた私は、教会の先生から「隠れて悪いことをしていても、ちゃんと神様が見ていますよ!」と聞かされ、びくついていたように思う。
 私たち一人一人に必要なものを知っているからこそ、言葉にするのはこれだけでよいのだと教えられたのが「主の祈り」である。ちょうど夏から子どもの教会で、「主の祈り」について子どもたちにお話しを続けてきたのだが、子どもたちにその意味するところを語るのはなかなか難しいものである。まず最初の「天におられる」と始まる、その「天」とはどこか。雲の上なのか、どこか遠いところなのか。あるいは天国という意味あいの別世界なのか。
 主イエスは「隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい」という。神は「隠れたところにおられる」というのだから、「天」とは「隠れたところ」ということになろう。ならば、「隠れた」私たちの心の奥底にもおられるということではないだろうか。
 また、マタイ福音書は「インマヌエル=神共にいます」という宣言から始まる。なれば、神は遠いところにいるというわけではない。私のイメージでは、空気のように、とりわけその中でも私たちの命に必要な酸素のように、私たちを見えないところで包み込み、なおかつ私たち体の隅々まで入り込んでいるように感じている。もちろん、これは私の個人的イメージであるが。
 「父」とはいえ、私たちの持つ「父のイメージ」に縛られることもない。むしろそれはイエスの思いであろう。だがイエスはあえて「アッバ」という言葉で父を呼んだ。日本語で言えば「お父ちゃん」という感じである。その「お父ちゃんが崇められますように(直訳では「聖とされますように」)」という。決して神以外の者が「聖」とされてはいけないという宣言である。近い存在だけど、聖である神。なんとも奥深いのである。やはり神を言葉で説明することは難しい。いや人間のつたない言葉なんかで説明できないから神なのである。その言葉にならない中に神がいるのである。

2010年9月26日(日)
「伝道の動機」フィリピの信徒への手紙1:15~24

 9月12日に2回目の教会懇談会が行われた。テーマは1回目に引き続いて「伝道について」。特に具体的な提案を出し合った。確かに礼拝出席者が増えるのは素直に喜ばしいことである。教会員を増やすこと、出席者を増やすこと、それらは“目的”ということになろう。もう一つ、大切なことが聖書に示されている。それは伝道の“動機”である。
 誰が言ったか知らねど、登山家に「何故、山に登るのか」と問うたとき、「そこに山があるから」と答えたという話がある。山に登る“目的”が、運動のため、健康のため、美しい景色が見たいから、山の頂上に名を刻みたいから、とすれば、「そこに山があるから」というのは、内から湧き上がる“動機”と言えようか。教会の伝道は「そこに愛があるから」とならねばならない。パウロは、獄中からの手紙で「愛の動機」から主の言葉を伝えるものがいる一方、「不純な動機」から伝道を行っている者がいることを嘆いている。どうやら、パウロ逮捕されたことで、敵対する派閥が、同じキリストを伝えているにもかかわらず、その党派心から、ここぞとばかりに好機をつかんだ気でいたらしい。「ねたみと争いにかられて」キリストを宣べ伝えているのだという。しかしパウロは、嘆くだけでなく、むしろそれを喜んでさえいる。
 フィリピの信徒へ宛てた手紙では、獄に監禁されながら、それがむしろ役立っていると言っている。そして、恨み言一つ言わず、フィリピの人々に感謝と喜びを伝えている。この手紙が「喜びの手紙」とも呼ばれる所以である。その感謝と喜びは、寛容と広い心へと向けられていく。「党派が何だというのだ。そんなことで争っている場合ではなかろう」と、互いに赦す心へと人々を促す。
 パウロもかつては「ゆがめられたキリスト」を伝えようとする者たちに、呪いの言葉さえ書いていた時期がある。伝道の初期に書かれたガラテヤの信徒への手紙などを読むと、その怒りが伝わってくる。諸説あるものの、フィリピの信徒への手紙は、それからかなりの時期を経て書かれたと考えられる。この間に、パウロは旅から旅をし、そして幾度となく捕らえられ、また死にそうな目にも遭ってきた。そのような経験の中で、寛容へと心が変わっていった様子がうかがえる。「生きるべきか死ぬべきか」という葛藤も述べている。様々な苦難と葛藤の中で、人を赦し、切り捨てない心を身につけていったのではないだろうか。それは「へりくだったキリスト」を知ったからであった。
 私たちも、内から湧き上がる「愛の動機」を身に帯び、なお謙虚に伝道をしていきたいと思っている。

2010年9月19日(日) 南海地区交換講壇 
「弱さを誇る」コリントの信徒への手紙二12:9

 いずみ教会の皆さま、19日の交換講壇のときは、わたしの説教を真剣に聞いてくださいましてありがとうございました。皆さまとの交わりを感謝しています。この紙上で、もう一度、「弱さを誇る」というパウロの言葉について、思いをめぐらしてみたい、と思います。
  「弱さを誇る」という言葉は、おそらく聖書以外にはない言葉だろう。「誇る」ということなら、「強さを誇る」ということは自明であって、「弱さを誇る」ということは、ありえないことのはずである。
 昔も今も、世界中で、「強さを誇る」ことはあたりまえの話だろう。パウロ自身、この「弱さを誇る」という言葉づかいが、人の耳にすんなり入っていかないことを十分に承知していて、敢えてこのような表現をしたと思われる。それは、どうしてか。どうして、このような表現をするようになったのか。
 わたしは、ここには、イエス・キリストとの出会いがあると思う。パウロが出会ったのは、復活された後のイエスである。そのイエスは、十字架の上で、一度は死なれた方だった。「弱さの故に」十字架の上で死なれた方だった。パウロが、イエス・キリストを信じたとき、それは潜在的に、「弱さを誇る」ということを含んでいたはずである。しかし、使徒とされたパウロであっても、「弱さを誇る」という言葉を自分の言葉にするには、ある経験を必要とした。それは、パウロの身に一つのとげが与えられるという経験であり、このとげが取り去られるように、三度主に祈ったという経験であり、それに主が「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ。」と答えられた、という経験である。主イエスは、パウロに「弱さをそのまま受け入れなさい。その弱さの中でこそわたしの力は十分発揮される。」と答えられたのである。
 この弱さは、パウロにとってかなりつらいものであったに違いないが、パウロは、その弱さの中に、キリストの力が働くなら、その弱さを受け入れようと、思いを定めたということである。その覚悟のほどが、「弱さを誇る」という言葉をパウロに言わせている。「強さを誇っている」人々のただ中で、敢えて「弱さを誇る」と言い、これこそ、キリスト・イエスを信じる者の生き方である、という。パウロが、ここで言っている「弱さ」は、直接的には、パウロ自身の病であったようである。
 しかし、「弱さ」ということは、「侮辱」「窮乏」「迫害」「行き詰まり」も含んでいることは、続く10節を読むなら明らかである。主イエスとの交わりこそ、パウロの力の源泉だった。
古郝荘八(高石教会)

2010年9月12日(日)
「背信と赦し」ホセア書2:4~15

 ヨセフがマリアから「実はね、赤ちゃんができたの・・・それがね、天使さんからお告げがあってね・・・」などと告白されたときには、さぞショックなことであったろう。当然、不信や疑い、怒りがわいたとしても不思議ではない。一度は別れを考えたらしいことが聖書には記されている。
 ホセアという預言者も夫婦関係には悩んだ人であったようだ。ホセアが活躍したのは北イスラエルが滅んでいこうとする時。紀元前8世紀のことである。北イスラエルの人々は目先の御利益に飛びつき、偶像を拝むバアル信仰へと傾いていった。それに対し、ホセアは、このままでは主の裁きがある!と厳しい言葉を発していく。
 ホセア書の冒頭には、その妻ゴメルについて記されている。ゴメルは愛人のもとへと走っていき、そしてその挙げ句、奴隷として売られていく。妻を見捨てようとしたホセアであったが、主の「彼女を愛せ!」との言葉を受け、妻を買い戻していく。主は語る。「イスラエルの人々が他の神々に顔を向け、その干しぶどうの菓子を愛しても、主がなお彼らを愛されるように。」と。
 私はかつて、このホセアの妻について記述は単にイスラエルを譬えたものと思っていた。しかし、自分自身の悩みの中で、ホセア書を読み返したとき、これはホセアの実体験があってこその預言だったではないかと思えるようになってきた。ホセアはたとえ人に裏切られても、なお心より赦し、愛することができたのではないか。だからこそ、神がイスラエルの民をなお愛す、ということを確信を持ってたかることができたのではないだろうか。
 人は、親であれ他者から愛されるという体験を通して人を愛することができるようになるとは、よく言われることである。同じように神の愛を知るには、人から愛されることが必要であろうと思う。だが、それだけではなく、同時に自ら人を赦し、愛するという経験をしないと、神の赦し、愛を心から感じることはできないのではないだろうか。本当の神の愛を知るには、自分が愛されると共に、自分も人を愛することが必要なのではないか。
 イエスも成人して、自らの出生について、また父ヨセフの葛藤について知るようになったことだろう。その壮絶な物語が、イエスの言葉の中に生きている。だが、イエスは父ヨセフを赦したことと想像する。
 「我らが赦すごとく、我らを赦し給え」と語る主の祈りは、その祈りのなかでも最も難解な部分である。人と人とが赦し合わなければ、神の赦しは所詮わかりやしないんだという、イエスから私たちへの挑戦の言葉として、私は理解している。

2010年9月5日(日)
「信じない人々」マルコによる福音書16:9~20

 先月「こころの友全国集会」で、かつて私も神学部での授業を受けていた城崎進教授の主題講演を聴いた。城崎教授は「アモス書の二次章句の研究」をテーマに論文を書いたことから話を切り出した。「二次章句」というのは、元来のアモス書にはなかったが、後に編集者によって書き加えられた部分のことである。本来のアモスの預言は、徹底的にイスラエルの裁きを語る厳しいものであった。だが、裁きだけでは希望を感じられないと考えた人がいたのだろう。そこにイスラエルの回復の預言などを書き足した。書き加えた人には、その人の思い、信仰があってのことである。その意味を探るのが城崎教授の研究テーマであった。
 マルコによる福音書の16章は、元来8節で終わっていたと考えられている。だからその後の部分はカッコでくくられているわけである。墓に行った女性たちが「誰にも言わなかった。恐ろしかったからである」で終わっては、あまりに尻切れトンボと感じたのであろう。実際に復活のイエスと出会う場面を書き加えている。だがそこでは、その復活されたイエスをみたという話を誰も信じなかった、ということがことさら強調されてもいるのが特徴的である。
 「UFOを信じますか?」と問われたら、どのように答えるだろう。大雑把に①信じない②わからない③信じる、の3つに分けたとしよう。①の中には、はなっから相手にしないという人もいよう。②の人は、本当にさっぱりわからないという人もいようし、「UFOは未確認飛行物体ということであり、未確認は未確認でしかない。よってわからないとしか言いようがない」と合理的に考える人もいよう。③の信じる人は、「なんとなく」という人もいれば、完全に信奉している人まで様々だろう。
 イエスの復活についてはどうだろう。クリスチャン以外では信じない人の方が多いのは当然であろうが、マルコの本来の著者は②に近かったのではないだろうか。だが付け足しのカッコの部分を書いた人は、それだけでは物足りなさを感じた。「信じられない」という気持ちもわかる。だが、心を固くしてしまっていいのだろうか。心を柔らかくしてみてはどうだろうか、と投げかけているように思う。何も考えず信じろとは言わない、迷いつつ、疑いつつも、一歩踏み出してみることもまた大切なのではないか。そのような意味で②と③の間の別次元へと昇華することを望んだのではないか。そのためには、アモス書の二次章句のように“希望”というエッセンスを加えればよい。そして「わからないけど、信じてみよう」という“決断”はまた新たな“希望”を生みだしていくことになる。

2010年8月29日(日)
「空の墓」マルコによる福音書16:1~8

 私は小説にしても映画にしてもミステリ物が好きである。謎めいた物やら不思議なことも子どもの頃から好きであった。生命の不思議、宇宙の不思議・・・小学生の頃から『子供の科学』などという雑誌を読んでいた私は、ミクロの世界から大きな世界まで、未だにその魅力に冷めることはない。
 宇宙は「無」から生まれたと現在では多くの科学者が考えている。では何が「無」から宇宙を生まれさせたのか。これには誰も答えることができない。私たち信仰者から言えば、神が造ったとしか言いようがない。
 「世界七不思議」は時代によって変わるようだが、私にとっての不思議ナンバーワンは、キリストの復活であろうか。聖書の記述は不思議さに満ちている。というのも福音書によって、描かれている出来事がかなり違っているのだ。是非、読み比べていただきたいのだが、例えば墓に行った女性の人数、名前も異なる。女性たちか墓で出会ったもの(人)も違う。「若者」であったり、「天使」であったり。またその人数も異なる。今となっては「事実」が何であったかは、わからないとしか言いようがない。種明かしが明らかにされないからオモシロイというものもある。
 ここでは「違い」を並べ立てるのではなく、共通点を見てみたい。
 ①時は、週の初め、安息日が終わった日の朝早くであった。私たちの日曜礼拝は、まさにこのことを記念するためにユダヤ教の安息日=土曜日が終わった次の日の朝に営まれていると言っていい。
 ②最初にイエスの復活を知ったのは女性(たち)であった。マグダラのマリアのみが全ての福音書に登場する。マグダラのマリアも謎に満ちた人物ではあるが、イエスによる本当の癒し、本当の救いを体現した一人であったのだろう。家族でもなく12弟子でもない、この女性のように真の救いを知るものが復活のイエスと出会えた。
 ③(墓の入り口をふさいでいた)石が動いた。福音書によっては「地震で」とされているものもあるが、とにかく勝手に動くはずのない重たい石が転がされたのである。私たちの「重荷」もきっと動く。そして前へと進めるのだ。
 ④あるべきはずのイエスの遺体がなかった。「空の墓」とも言われるこの出来事。女性(たち)の体験したことは、復活のイエスを目の当たりにすることではなく、「メッセージ」を受け取ることであった。まさに「良き知らせ=福音」である。「空の墓」という、いわば空虚の出来事からメッセージを受け取った。それはまるで「無」から始まった世界のように。空虚から始まり、恐れは次第に喜びへと変えられていったのがその後の物語である。

2010年8月15日(日)
「もはや争うな」ホセア書4:1~6

 戦後65年を迎えたという。が、本当に私たちの国に「戦後」は訪れただろうか。その後の朝鮮戦争、ベトナム戦争、そして近年のイラク戦争に日本は深く関わってきた。60年代の日本の経済復興も戦争が大きく影響している。また、第二次大戦の傷跡は今も癒えることなく、日本の人々だけでなく、世界の国々で多くの人々の心にとげが突き刺さったままである。今もたくさんの紛争・戦争が絶えていないことを思えば、人類には未だに「戦後」は訪れていないと言えよう。
 人と人とが争い、殺し合うのは、人間の“本性”なのか。何千年も前の旧約聖書の時代から、戦争が絶えた時代がないことを、聖書を読んでいても思い知らされる。預言ホセアの時代は、イスラエルの国が南北に分裂し、北イスラエルが滅びの道をたどっていく混乱のただ中であった。その中で、騙しあいがあり、殺人があり、略奪、強姦がくり返されていたという。ホセアは「流血に流血が続いている」という。ホセアは国のとりわけ指導者らを告発する。そしてそれは主の告発なのだという。同時に「もはや告発するな」ともいう。どういうことであろうか。
 真に告発者となれるのは神のみであり、人が人を告発しあうことの虚無を見ているのである。人が人告発するとき、それは告発する側からすれば「私が正しい。お前が間違っている」との立場となる。神以外に「正しい」ものがあろうかと言うのである。
 争いの多くは、相手に対する無知、無理解、偏見から来ている。相手のことを良く知り、理解し、歴史・文化・宗教・言語・立場の違いをも受け入れることが出来れば多くの争いは避けられるのではないか。パウロは「知識は廃れた」と言うが、同時に知識を「偽りのない愛」とも並べている言葉もある。つまり、愛のない知識は傲慢をもたらすのだということである。ホセアも知識を退ける祭司を弾劾する。相手を知ろうとする心、その相手の過去や考え方、その中でおこった痛みを知ろうとする心は、まさに愛そのものである。その意味で過去の出来事や、今苦しんでいる人びとのことを知るための学びは大切なことだと思う。それは必ずや愛を深くしていくものだろうと、私は思っている。かのキング牧師は言った。「無関心こそ最大の罪である」と。

2010年8月8日(日)
「イエスの葬り」マルコによる福音書15:42~47

 福音書にはイエスの埋葬に関わったのが、いわゆる「12弟子」ではなく、アリマタヤ出身のヨセフであったということが書かれている。マタイ、マルコ、ルカの福音書を読むと身分の高い議員であり、金持ちであったことが記されている。ヨハネ福音書にだけはイエスの弟子であったがそれを隠していたことが書かれている。それもそうだろう。ユダヤ教の最高法院の議員ということは、むしろイエス殺害を計画した側であるから、弟子であることが知られればその身分を追われることになるだろう。「勇気を出してピラトのところへ行き」というのは、自らの立場を追われる覚悟をもって、イエスの遺体を引き取りに行ったということである。
 さらに遺体の埋葬に関わったのは、「マグダラのマリアとヨセの母マリア」という女性であったことも記されている。
 現代の日本においても、おおよそ最後の火葬や納骨にまで関わっていくのは、本当に故人に親しいものだけであろう。ほとんどが家族だけとなる。最も故人を愛していたものがその場に立ち会っていく。家族にとっては、葬儀以上、愛する者の死が現実として迫ってくる辛いときでもある。それは愛するものだからこそでき得るし、しなければならない責任を負う。遺体を炉に入れて扉を閉めるあの瞬間、火を入れるあの瞬間、骨となった姿を見るあの瞬間、愛する者たちが涙をこらえることができないのは自然のことである。
 イエスの埋葬においても、最もイエスを愛していた者が、埋葬に携わっていったのだろうと思われる。イエスの最後を見とどけていく責任を果たしていったのが、議員ヨセフであり、二人のマリアであった。つらい瞬間であっただろう。さらに苦しく悲しい十字架の場面に居続けたのも女性たちであったという。だからこそ、イエスが復活の姿を最初に現したのも、それらの女性たちの前であった。
 イエスは、自らの最期を看取ってくれた者たちの心をわかってくださっていた。どれほどイエスを愛していたかを知っていた。だからこそ最も近くに姿を現してくださった。
 私たちにおいても、イエスを愛すれば愛するほど、その苦しみを知れば知るほど、きっと近くに来てくださるのだろうということを知らされる。

2010年8月1日(日)
「十字架上の言葉」マルコによる福音書15:33~41

 イエスは十字架上で7つの言葉を残したとよく言われる。マルコ福音書の①「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」(マタイでは「エリ、エリ、・・・」)、ルカ福音書の②「父よ、彼らをおゆるし下さい。自分が何をしているのか知らないのです」③「はっきり言っておくが、あなたは今日私と一緒に楽園にいる」④「父よ、私の霊を御手に委ねます」、ヨハネ福音書の⑤「婦人よ、ご覧なさい。あなたの子です。見なさいあなたの母です」⑥「渇く」⑦「成しとげられた」、以上7つというわけである。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」とは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味だと聖書にも記されている。ルカによるイエスの言葉、またヨハネによる言葉とはずいぶんおもむきが違う。“史実”はどうであるかはもはや明かではないが、7つの言葉をすべて語ったというのには整合性がなさ過ぎる。それぞれの福音書著者の十字架理解が反映されていると考えられる。
 青野太潮という新約学者は、十字架の上で何も出来ず、叫びながら絶命していったイエスにこそ逆説的な真の神の子としての姿があるという。イエスの叫びは、苦しむ者すべての、また不条理な苦しみを負わされている者すべての叫びではなかろうか。
 イラク戦争は私の十字架理解を変えていった出来事となった。そこで不条理に命を奪われていく者がいる。今まさに、殺されていっている人がいる。その現実の中で、イエスの叫びは殺されていく者の叫びとして感じるようになっていった。今も叫んでいる人がいる限り、イエスも叫び続けている気がする。
 「なぜ見すてるのか」というイエスの問いには答えが返ってきていない。“答えない神”が描かれていると言ってもいい。そう、確かに明確な答えはないことが多すぎる。今も叫びつづける人々にも神は答えようとしていない。だからなお、多くの人々は苦しみ続けている。
 だが、福音書は絶望だけに終わらせない。マルコによる福音書では、女性たちが十字架を見守り、そしてまた女性たちが空の墓を見つけたことを語る。そして、イエスの出来事は十字架の死をもって終わったのではないことを示していく。
 私たちには復活の信仰が与えられている。それは希望が与えられていると言うことである。死がすべての終わりではない、命は巡るのだということを知らされている。
 日曜の朝、子どもたちに促され、さなぎから羽ばたいたアゲハチョウの姿を見た。我が家の花壇のパセリを食べていたアオムシが美しい姿となった瞬間であった。まさに「さなぎの中から命はばたく」(讃美歌21-575番)のを目の当たりにした。世界には新しい命が与えられている。そこに希望を託していくことを示された。

2010年7月25日(日)
「15日の金曜日」マルコによる福音書15:21~32

 かつて10年以上も前のことであるが、その時の教会員の家を新築するにあたり、神道の地鎮祭に代わる起工式を依頼されたことがあった。施工業者や工事に携わる人にとっては、何もしないのは不安だというのだ。その日は「13日の金曜日」であった。映画の影響もあって「13日の金曜日」ときくと不吉な日であるかのように思われてしまっている。かえって業者の方々が不安に感じては行けないと思い、「13日」に根拠のないこと、その日が十字架の日であってもそれはむしろ救いの日であることを話した。
 一体「13日の金曜日」が不吉であるという俗説はどこから生まれたのであろうか。聖書に基づけば、十字架の日付は太陰暦の14日か15日となる。13日を不吉とするのは英語圏とドイツ、フランスに限られるらしい。なぜ「13」なのかには諸説あるようだが、一つの説が、最後の晩餐の時にイエスを含めて13人いたから、というものだそうだ。なぜ最後の晩餐の日が呪われた日とならなければいけないのかはわからないが。
 十字架の日は「救いの日」とかつて語った私であるが、その後、私の信仰も変わってきているのを感じる。単に救いの日と言ってしまうだけでいいのかと思うようになってきた。自分自身の中ではイラク戦争の中での出来事が思いを変えさせていったのだろうと思う。
 一般にイエスの死は、人の罪を贖うための代理の犠牲死として理解される。とはいえ、その教義が理論化されたのは、イギリスの大司教アンセルムスによって1107年に著された書が初めてであった。確かにパウロ書簡にも、贖罪を可能にする供え物としてイエスが出てくる。だが、そのパウロも様々な表現を用いてイエスの十字架を語っている。「神の知恵と力」「つまずき」「愚かさ」「私たちに対する神の愛の証し」「死と復活を通した新生への道」などである。贖罪死というのは、それらの考え方の一つである。パウロもイスの死の意味を問い、思いを巡らせたのであろう。人の死の意味を問うことは、人の命を問うことでもある。その答えは一つになろうはずもない。人はそれを何千年も問いつづけているのだ。
 マルコによる福音書に限れば、イエスの死を贖罪の供え物としての代理死として捉える考え方は見いだせない。むしろイエスを殺していったローマ帝国と神殿権力者への告発が前面に出されている。その意味でイエスは世の罪のために死んだといえる。この世の権力の罪、自らの正当性を守ろうとし、その中で、邪魔なものは排除しようとする力がイエスを殺した。そんな罪をもうこれ以上犯してはならないことを十字架は語りかけているのだろうと思う。

2010年7月18日(日)
「荊冠を昇華する」マルコによる福音書15:16~20

 イエスが十字架に架かったのは「過越の祭」の最中(あるいは前日)であった。過越の祭といえば、かつて奴隷であったイスラエルの民が解放され、神に守られつつエジプトから脱出したことを記念するものである。解放の祭とも言える。しかし、それは抑圧の祭と化してしまった。イエスは徹底的に侮辱され、あざ笑われて十字架に架かっていった。そのあざけりの象徴が紫の衣であり、「ユダヤの王」という罪状書きであり、茨の冠であった。
 漢字ではいばらは「荊」とも書く。ムチをつくり刑に処すための植物であったようだ。旧約では迫害と呪いと苦難の象徴としても描かれる。最も価値の低い植物として扱われている。同時に、神がモーセに顕現したとき、いばらの中からその声が聞こえたという。
 イエスは、王としての冠をかぶせられつつ、最も低い者へとおとしめられた。パウロにあっては、その苦難を栄光へと引き上げる。十字架は、愚かさの象徴であるが、それを勝利の象徴としたのである。十字架で処刑された人物を救い主とするなんて、当時からすればまさに「愚か」と言われたことであろう。だがパウロは「私は福音を恥としない」といってのけた。
 1922年に全国水平社が創設されたとき、荊冠旗もデザインされた。部落の人々はイエスの荊冠を、自らの差別の苦しみの象徴として取り入れたのだ。ローマ兵があざけりをもってイエスにかぶせたのと同じ苦しみを、被差別部落民が受けてきた、今も受けている、負わされているのだという告発でもあった。水平社第2回全国大会の檄文には「真っ黒の中に血の色に染め出された荊冠の旗こそ、実に我々の受難と殉教の表徴でなければならぬ」と語られている。荊冠旗を考案した西光万吉は「こんな旗は世界中にも類がない。これは当時の私たちの受難殉教の気持ちをそのまま表現している。この旗を見ずして水平社運動は語れない。小さい星の一つさえないこの旗は、絶望的にさえ見えるにもかかわらず、血みどろな人間が、まだ殺されずに生きている。しかも立ち上がってきたような、そんな気持ちが私にこの旗と竿を考案させた」と書いている。イエスの復活をも思い起こされる言葉である。
 荊冠は苦しみの告発であり、解放の旗印なのだ。あざけりの象徴である十字架をシンボルすることと同じとも言える。マイナスをプラスに転じていくという、パウロの信仰が、荊冠の中にも生きている。過越の祭を、闇から解放されて光へと向かわせていくのが私たちの努めでもあろう。侮辱と抑圧の日を解放の物語へと変えていきたい。

2010年7月11日(日) 部落解放祈りの日礼拝
「兄弟姉妹」ルカによる福音書10:38~42

 みなさんは何人兄弟ですか?本日はマルタとマリアの箇所です。ラザロを入れて3人兄弟です。ベタニア村での話です。マリアは主の話に聞き入っていた。一方、マルタは、もてなしのためにせわしく働いていたが、そのマルタが、イエスさまに言いました。「主よ、私の姉妹は私だけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるよう、おっしゃってください。」それに対してイエスさまは、「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことは、ただ一つだけである。マリアは良い方選んだ。それを取り上げてはならない。」イエスさまが来てくれた。話を聞く方が大切だ。
 さて、本日は部落解放祈りの日礼拝です。先ほど水平社宣言が読まれましたが、水平社、今の部落解放同盟は、キリスト教から大きな影響を受けました。荊冠旗、熱と光、兄弟姉妹という呼び方。水平社宣言の前半部分、融和運動との決別を語っています。水平社の結成直前に大日本融和会がつくられました。その開会大会の時、2階席から水平社結成を呼びかけるビラがまかれたんです。一番そのことを危惧したのは国です。当時のお金で何百億円出すから、水平社を作らないでくれと言われたんですが、それを蹴って水平社をつくったんです。
 水平社の決議に、差別の徹底糾弾があります。マリアがよい方を選んだように、部落の人々も、融和ではなく、糾弾を選びました。糾弾という、自らを解放せんとする良い方を選んだのです。
 最後に、狭山事件についてのべます。一言で言うと、部落差別に貫かれた冤罪事件です。グレーゾーンで闘おう(疑わしいけど無罪だ)という手もありますが、それはダメです。石川完全無罪、これ一つです。これを選んだのです。
 このいずみ教会は、部落伝道でできた教会です。この教会のみんなは、兄弟姉妹です。部落も兄弟姉妹と言います。300万、関係者を入れたら600万です。この教会も部落も皆すでに兄弟姉妹です。部落伝道という良い道を、この教会はとったのです。「誰もそれをとりあげてはならない」のです。これからも部落の兄弟姉妹として、教会形成し、部落へ伝道していきましょう。
(福田)

2010年7月4日(日)
「殺してはならない」マルコによる福音書15:1~16

 誰がイエスを殺したのか、次の中から選ぶとしたならどう答えるであろうか。①ローマ総督ポンテオ・ピラト ②大祭司らユダヤ教指導者 ③ユダヤ人一般民衆 ④その他。私は、ローマ当局と大祭司らユダヤ教指導者が結託してイエスを殺したと考えているが、聖書ではあたかも③が正しいかのように描かれている。ピラトに関しては、ルカ福音書によると「この男に何の罪も見いだせない」と語ったとされているし、ヨハネ福音書に至っては「ピラトはイエスを釈放しようと努めた」とはっきり書かれている。ピラトは「いい人」のように書かれているのだ。そしてマタイ福音書では、『「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ。」民はこぞって答えた。「その血の責任は、我々と子孫にある。」』という文言が記されている。
 しかし、この言葉が後の何百万人もの人の虐殺に関わっているとなれば、「誰がイエスを殺したのか」という問いは私たちキリスト者にとってもほってはおけないものであろう。
 マタイの「その血の責任は、我々と子孫にある。」というユダヤ民衆の言葉が、「イエスを殺したのはユダヤ人だ」という話になり、その後の反ユダヤ教主義、反ユダヤ主義となっていき、ユダヤ人差別の根拠となり、虐殺の根拠とされていった。中世の「十字軍遠征」においてもエルサレムで多くのユダヤ人が殺され、1881年、東ヨーロッパでは、『ポグロム』とよばれる大規模なユダヤ人迫害も起こっている。ナチスによるユダヤ人虐殺は600万人と言われている。その数より恐ろしいのは、個別の所業である。生身の人体に対する恐ろしい実験や虐殺は、『夜と霧』にくわしい。反ユダヤ主義は現在も根強く残っている。一方、現在のイスラエルは、その自らが受けた差別をイスラム教徒、パレスチナ人へとそっくりそのまま向け、パレスチナ民衆を虐殺し続けている。「誰がイエスを殺したのか」という問いが私たちに関係のないことであっていいのか。
 実際のところ、イエスは反逆罪でローマによって殺されているのは歴史的資料からも間違いない。聖書の4つの福音書を読んでみると、そのストーリーはそれぞれに異なっている。ヨハネ福音書は、十字架の日すら違う。今となってはわからないことの方が多いのだが、ローマに責任を負わせないように書かれたのは、当時のローマによるキリスト教迫害の状況を加味してのことであったかもしれない。
 律法には「殺してはならない」とあり、私たちの社会も殺人は犯罪であるとされているのにもかかわらず、罪を問われない殺人もある。アフガニスタンの人々を殺しつづける国の最高責任者がノーベル平和賞をもらうのであるから、子どもや若者にとっては「殺してはならない」という言葉の説得力はないに等しい。人に罪をなすりつけるより、誰と隣人になるかということをイエスは求めたのではないだろうか。
(安田)

2010年6月27日(日)
「弱さを思い知る」マルコによる福音書14:66~72

 私たちは自分の身を守るためであったり、自己の利益のために嘘をつくことがある。それだけでなく、虚栄を張った嘘、方便・儀礼上の嘘、ユーモアとしての嘘もあろう。人を陥れるために騙す嘘は許し難い。
 ロバート・フェルドマンという心理学者によれば、人は10分間に3回嘘をつくという。自分で意識しなくとも言葉にはどこか嘘が混じってしまうと言うのである。
 ペトロは、逮捕されたイエスが気になって、大祭司の屋敷の中庭までやってくる。そこで「あなたはイエスと一緒にいた者だ」と人から問い詰められたとき、「イエスなんか知らない」と嘘を言ってしまった。これは自分も逮捕されるかもしれないという恐怖、自分を守ろうとする思いからでた嘘と言えよう。
 イエスとの最後の食事の時に、イエスは「あなたは鶏が2度鳴く前に、3度私のことを知らないと言うだろう」とペトロの嘘を予告している。ペトロは「知らないなどとは決して申しません」と力を込めて言っているが、結果的にはそれも嘘になってしまった。
 ペトロは何を否定したのであろうか。「イエスと一緒にいた」との女中に指摘は、まさに「イエスと共にいた」“with Jesus”という意味であり、それはすなわち「神、共にいます(インマヌエル)」ということである。「一緒に」「共に」と訳される「メータ」という言葉は、また「~の中に」「~の真ん中に」という意味をも持つ。ペトロは「イエス、共にいます」「神、真ん中にいます」ということを否定してしまったわけである。大祭司の「中庭」にいたということは、イエスの中にいるのではなく、大祭司の側にすっぽりはまっていたことを象徴しているように思える。
 また「イエスの仲間だ」との指摘は「イエスのそばに立っている」ということを意味する言葉が用いられている。やはり、イエスのそばから離れてしまっていることをペトロは宣言してしまったわけである。イエスが逮捕されたとき、その様子を見ようと「遠く離れてイエスに従い」大祭司の中庭にやってきたペトロ。このときすでに「遠く離れて」しまっていたのだ。傍観者となっていた。
 鶏が2度鳴いたとき、ペトロは、「共にいます」ことを否定し、イエスから遠く離れている自分に気付いた。そして、泣き崩れていった。
 中島みゆきの曲に「With」と題された歌がある。“with…その後へ君の名を綴っていいかwith…淋しさと虚しさと疑いとのかわりに”と歌われる。インマヌエル=「神、共にいます」は英語では“With God”と書かれている。淋しさや虚しさや疑いから生まれる嘘のかわりに、“with Jesus”と記していきたい。
(安田)

2010年6月20日(日) (特別伝道集会) 池上信也牧師・三瓶教会
「思い込み」ルカによる福音書19:1~10

 徴税人ザアカイの話は、教会生活の長い方はよくご存じであろうし、初めて聖書を読む方にとってもわかりやすい。子どもたちにとっても"定番"の話である。
 "定番"の紙芝居によると、ザアカイはエリコという町で税金を取り立てる徴税人の頭であったとある。「税金を過剰に取り立てて私腹を肥やしで金持ちであった」、それに「けちでいじわるでいばっていた」とされている。金はあったが、それでもザアカイは幸せではなかった。それは友だちが一人もいなかったからである。彼は寂しさを抱えていた。そんなある日、イエスさまが町においでになるという知らせが伝わる。ザアカイもイエスを一目見ようと通りに出てくるが、「背が低かった」ザアカイは、群衆にじゃまされて何も見えない。一計を案じて、木に登り、上からイエスを眺める。そこにイエスが通りかかるが、イエスはザアカイに向かって「今夜お前のうちに泊めてくれ」と言うわけである。人々は「なんでザアカイみたいな悪い奴の家にイエス様は泊まるんか。みそこなった」という声が聞こえてきそうな場面である。得意満面でイエスを招き、もてなしをする。こんなにつまらない自分を心に留めてくれたイエス様の大きな愛に触れ、「私は間違っていました」と罪を告白する。紙芝居では涙まで描かれている。涙を流してザアカイは悔い改めるというわけである。回心したザアカイをイエス様は祝福してくださいました…というのが紙芝居のストーリーである。紙芝居であるからそれなりの脚色はある。しかし、素話で子どもたちに語るときでも、「金の亡者ザアカイが、金よりももっと大事なことがあるということをイエス様によって教えられ、回心した」というドラマになるのではないか。
 聖書本文に比較的忠実である『絵本聖書』(原書はオランダ)でも「イエスさまにゆるされたザアカイはすっかり新しい心をもった人になりました」と結ばれる。紙芝居に比べれば聖書本文に近いが、あらすじは同じである。「わたしがまちがっていました」というザアカイのセリフがあり、「無理に集めたお金は4倍にして返しますというわけである。そして最後には回心したザアカイを許すというストーリーである。
 最近出たばかりの『みんなの聖書絵本シリーズ』(日本製)の『ザアカイ』でも、「イエスさま、わたしは心をいれかえます」「だまして集めたお金があるなら4倍にして返します」とされている。つまり"わたしは悪い人でした。ごめんなさい"というわけである。
 あえて問いたいのは、ザアカイは本当に悪いことをしたのだろうかということである。
 聖書を読み返すと、その箇所をいくら読んでもザアカイが悪いことをしていたとは書いていない。「徴税人の頭で、金持ちであった」ということだけである。そこから先は読む人間の思い込みである。人々のつぶやきに「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった」とある故に「ザアカイは罪深かったのだろう」と思うかも知れない。しかし、これは「徴税人」という職業に対して当時与えられていた評価なのである。
 徴税人というのは、ローマの手先である。当時のユダヤはローマの属国であったから、ローマ帝国に税金を納めるために使われていたのが徴税人たちであった。潔癖なユダヤの人々は、他宗教の者とつき合う徴税人という仕事についている者は、"汚れた存在"だと考えていた。"汚れた存在"はイコール"罪人"とされる。悪い奴だったということではなく、異邦人の釜のメシを食っていることにより、"徴税人である"というだけで"罪人"と呼ばれる存在になるのが当時の常識であった。悪いことをしようがしまいが、そんなことは関係なく徴税人であると言うだけで"罪人"と呼ばれてしまっていた。
 ザアカイの最後の言葉として「だれかから何かだまし取っていたら、それを4倍にして返します」というセリフがある。「だまし取っていたら」と、仮定に基づいた言葉はあるが、実際にだまし取っていたとは言っていない。当時はだまし取ったら2倍にして返さねばならないという律法規定があった。ザアカイは、その規定のさらに倍の額を言っている。つまりこれは「オレはそんなことしてへん。もししていたなら律法規定の2倍どころか4倍にして返そう」と言っていることになる。
 ユダヤ人の社会がザアカイを"罪人"と決めつける事情は明かである。ローマの抑圧の下に重圧を感じて生きていた。その中で徴税人はローマの庇護を受け、"ぬくぬくと"高給取りで生活をしている。これを仲間に対する裏切り行為であるとみなしてザアカイら徴税人を悪人呼ばわりしたい"気持ち"はわかる。だがザアカイは徴税人であるという立場を利用して私腹を肥やしたであるとか、不当な取り立てを行って人々を苦しめただとかの悪事を働いたのだろうか。驚くべきことに、学者が書いたほとんどの注解書で、おそらくザアカイはその立場を利用して私腹を肥やしていたことであろう、と書かれている。聖書の専門家の学者が言うくらいなので、悪者のザアカイがイエス様に出会って回心をした物語として定着していく。紙芝居や絵本だけでなく、賛美歌の中でもザアカイは悪い奴だと歌われている。改訂前のかつての『こどもさんびか』では「こころのかわったザアカイは」と歌われている。やはり回心をするということになる。
 イエスが徴税人と呼ばれていた人々とどう関わったかということを他の聖書箇所から考えると、定着している解釈に対し疑問がわいてくる。イエスはザアカイに出会う前にレビ(マタイ福音書では「マタイ」という名)という徴税人に出会っている。ファリサイ派の人々や律法学者は、イエスが徴税人と食事をすることに対し「イエスはああいう連中とメシを食うのか」と非難をする。そこにイエスの「医者を必要とするのは健康な人ではなく病人である。わたしが来たのは正しいものを招くためではなく罪人を招くためだ」という有名なセリフがでてくる。この場合の"罪人"というのは当時の社会基準から"罪人だ"と決めつけられていた人たちを指している。イエスのこの言葉は、人を"罪人だ"と決めつけていく社会基準そのものに対する挑戦的な発言なのである。イエスは人を見下すことしか思いつかないファリサイ派の人々や律法学者に対して、「わたしが来たのはお前たちのためではないんだ。お前たちが"罪人だ"と決めつけている、その人たちのためにわたしは来たんだ」と言っていることになる。
 ザアカイの話の直前の18章にも徴税人が出てくる短いエピソードがある。「自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々に対して」語られたたとえ話である。「この徴税人のようなものでもないことを感謝します」と祈り、傲慢の罪を犯していることに気付かないファリサイ派の人に対し、一人の徴税人は、自分が世の中から罪人呼ばわりされていることに愚痴を一言も言わず、ただ神の憐れみのみを祈り求めている。イエスは徴税人であるということだけで悪人と決めつける世の中に対して「間違っているのはお前たちの方だ」と糾弾をしているのである。そのイエスが果たしてザアカイに対してはどうだったのか。
 イエスの行動パターンからすると、イエスは常に弱い者の側に寄りそって立とうとされる。ということは徴税人ザアカイというのも、悪人ではなくて、むしろ差別をされ抑圧されていた弱者ではなかったのかというふうに思える。
 このようなことを思うようになったのには一つの経験がある。ある一人の信徒との出会いがあったのである。もう亡くなったYさんと仰るその方は、かつてわたしがいた九州の伝道所の信徒であった。Yさんは、脊柱湾曲症で大変背が低い方だった。そのYさんが「ザアカイさんって、私に似てますね」と言われたことがある。障害を負い、小さな体で、地域では何をやっても差別されて育ってこられたYさんは、誠実な働きで信頼されるようになっても一つミスをすればたちまちまた信頼は壊されてしまうということを経験されていた。「ザアカイもきっと言うに言えない悔しさを抱えていたに違いない、だからイエスさまにあんなふうに声をかけてもらって、今日お前の家に泊めてもらうと言われたとき、どんなに嬉しかったことか。私はザアカイの気持ちが良くわかる」と言われた。私はそれまでザアカイの背の低さというものにはあまり気に留めていなかった。確かに聖書には「背が低かったので」書かれている。実は新約聖書でこのように書かれているのはこの箇所だけでなのである(旧約ではエズラ記5章に3回のみ)。ザアカイの背の低さは、単に小柄な体と私は思っていたのだが、Yさんは自分の障害に引き寄せて考えておられた。紙芝居や絵本でも単に小柄な男として描かれている。だがYさんは差別を受けてきた自分自身の事柄にザアカイを重ねた。同じ聖書の箇所を読んでいても、これほど受け止め方に違いがあることに気付かされた。
 私たちは小柄な腹黒い小悪党と思いこんでいる。そしてその小悪党がイエスに出会って真人間になった。めでたし、めでたしという話で読めるところで、ずっと生きてきたのではないか。それはザアカイたちを罪人だと決めつけていった当時のユダヤ民衆一般の延長線上にいることであって、決してザアカイの立場に立つものではない。我々の"思い込み"にあぐらをかいた読み方なのではないか。"思い込み"は、予断と偏見を産み出し、それは差別を産み出していく。
 先週、東京で部落解放全国会議が開かれ、改めてその"思い込み"ということを強く感じさせられた。被差別部落のことを何も知らない人間が、差別意識をむき出しにして葉書を執拗に送りつけるなどの嫌がらせをする。"思い込み"でやるのである。"被差別部落の人間はこういう人間であるに違いない"という"思い込み"である。
 私自身が子どもの頃から、被差別部落に生まれ育った人や在日韓国朝鮮人の人たちを見下すような意識をもって育ってきたというのは、やはりその"思い込み"の連鎖の中でのことであった。大人たちは"思い込み"で子どもたちに言う。「あいつらとは遊ぶな」「関わりになってはいけない」「恐いぞ」と。子どもたちはその"思い込み"のまま大人になっていく。"思い込み"と気付く機会がなければ、また子どもに対して同じ事を言っていく。こうして"思い込み"は再生産されていく。
 ザアカイの話も、最新版の聖書絵本ですら、やはり「ザアカイは悪い奴」と書かれ続けていく。「私は心を入れ替えます」と言うセリフをザアカイは言わせられているのである。
 だがイエスは違った。イエスはザアカイと出会った最初からザアカイに向かってまっすぐに歩み寄る。彼を孤立させている人々には目もくれずにザアカイの家に泊まると告げる。イエスはこの人が、この社会に受け入れられていないのだということにすぐ気付く。そしてザアカイのところにまっすぐに向かう。悪人ザアカイを更正させてやろう、などという思いで近づいているのではない。そうではなく、差別を受けていたザアカイに寄りそうべく近づいているのである。
 ザアカイの「だれかから何かだまし取っていたら、それを4倍にして返します」という言葉は、実はザアカイの潔白宣言なのである。「自分は何もやましいことはしていない。徴税人という仕事も選択の余地がなかった。できればみんなに喜んでもらえるような生き方をしたかった。しかし自分のような背の低い障害者には社会がそうはさせてくれなかった。誰も雇ってくれなかった。でもローマ当局はそんな私を使いやすかったんだ。だから結構良い条件で仕事をくれた。おかげで金には不自由しない。けれど町のみんなはますます私を白い目で見るんだ。でもイエスさま、あなたは違いましたね。私を一人の人間として扱ってくださった。神様はまだ私を見捨てておられないということがわかりました。私は決めましたよ。町の人が私をどう思おうが、そんなことはもうどうでもかまやしません。私は神様に喜ばれることをします。財産の半分を貧しい人に施しましょう。名誉がほしいのではなく、神様に喜んでもらえることがしたいだけなのです。連中は私が不正をしている、私腹を肥やしていると言いますが、もし本当にそんなことをしているならば、定めにある2倍返しのそのまた2倍を返してやります。だが私は神様に恥ずべきことをしていないんだ。」
 こういうザアカイの叫びを聴きとるところに私たちは立てるのだろうか。こう聴いたならば、はるかにその後のイエスの言葉が通じる。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子は失われたものを捜して救うために来たのである」。「失われたもの」とは、人々から見えなくされている存在のことである。そこにいるのに、そこに存在しているのに、大方の人はその存在を無視し、認めない、そういう人々が「失われたもの」なのである。イエスはエリコの町で「失われたもの」であったザアカイの所に来られ、そして救うために来たのだ、と言っているのである。
 これのどこがザアカイの罪を赦す言葉なのだろうか。イエスと出会うことによってザアカイは立ち上がることができるようになる。自分の苦しい現実の中で、それでも神様が守ってくださると気付いたことで、ザアカイは人生をポジティブに生きて行こうと思うことが出来るようになった。新たな目標が与えられたことに対する喜びの言葉がザアカイの言葉なのである。貧しい人に財産を出して喜んでもらえるようにしよう!誰にでもない神様に喜んでもらえるように生きよう!そう思えることができたザアカイの気持ちに対して、「そうか、そうか!よかったな!」と言っているのがイエスの言葉なのである。イエスの喜びの言葉である。
 私たちはそれぞれの日常の中でこのような"ザアカイ"にどれだけ出会っているのか。出会っていてもそれとは気付かず、さらに傷つけているのではないか。あるいは逆に私たち自身がこのザアカイのように何をやっても人々から誤解を受け、差別を受け、偏見にさらされてどうしようもない行き詰まりの中で生きているのかもしれない。
 イエスは阻害され、差別され、孤独に悩む者に向かって"まっすぐに"歩んでこられる方である。常に弱いものに寄りそい、共に生きようとなされるイエスに従って、私たちの歩み、また私たちの教会の歩みもそのようでありたいと願う。そして誠実に隣り人と共に生きる者として歩みたいと思う。

2010年6月6日(日)
「きみの名は」マタイによる福音書1:18~25

 (子どもに聖書の人物名をきいてみる)。名前は誰にでもある。名前のない人はいない。私たちの神さまにもイエスという名前がある。これは、預言者の預言によれば、インマヌエル、神は共におられるという意味です。イエスさまが、いつもおられる、これはすばらしいことです。
 さて本日は、名前について考えてみましょう。いろんな名前がある。親の名前を一字もらっている人。画数判断で決めてもらった人。お父さん、お母さん以外の人がつけた名前の人。名前の意味がよいからそうなった人。名前の響きで決めた日と。クリスチャンホームらしい名前の人。
 あるいは名は体をあらわす人もいます。名前は個性です。同じ
姓もあります。それだけでなく、同姓同名の人もいます。そういう人にあったことありますか?
 それはともかく、名前はどんな名前でも親の愛がこもっています。そして、そこに神さまの愛も加わっています。
 最後に名前インタビューをしてみましょう。順番に、子ども一人一人にきいていきます。自分の名前、そして名前の意味、もし、知らなかったら、今日帰っておうちの人にきいてみてください。それとあと一つ大好きなたべものを言ってください。(子どもたちにきいていく)。
 最後に、私、福田鳥巣ですが、私は聖書からきた名前ですが、好きなものはトリスウイスキーです。
(福田)

2010年5月30日(日)
「偽証・黙秘・自白・冤罪」マルコによる福音書14:53~65

 戦後の重大事件だけでも冤罪事件は30件を越えると言われている。つい先頃も、再審の末、ようやく無罪判決を勝ち取った足利事件のようなケースもある。刑事裁判の99.9%が有罪となるわけだから、「重大」とは言われない事件では冤罪もかなりの数に上るのではないかと想像する。それでも無実の罪に問われた本人にとっては「重大」なことである。
 「それでもボクはやってない」という映画がある。一人の青年が痴漢の容疑者として逮捕され、それでも否認を貫き、裁判となっていく物語である。物証が残らない犯罪だけに、被害者にとっても、また冤罪を着せられたものにとっても過酷な裁判となる。裁判員制度が始まって1年が経つが、裁判制度の、あるいは警察による取り調べの問題点は多々残されたままである。多くの冤罪事件に共通するのがやってもいないことの「自白」が有罪の証拠とされてしまう点だ。イエスの場合も「自白」が決定的な有罪の根拠とされた。
 逮捕・連行され、最高法院で取り調べを受ける。はじめから有罪ありきの裁判であったが、嘘の証言のつじつまがあわず、それを決定打にすることができない。イエスも黙秘したままである。しびれを切らした大祭司が「おまえはメシアなのか」と問う。「何をしたか」ではなく、「何者か」を罪の根拠にしようというのである。イエスはその問いに「そうです」と答えたとマルコ福音書では書かれている。しかし、マタイやルカでは「私がそうだとは、あなた方が言っている」と記されている。マルコもそのように捉えるべきであろう。つまりイエスは「メシアか」という問いに対し、やんわりと否定しているのである。イエスは常に自分を「神の子」とか「メシア」とか自称せず、「人の子」と語った。
 問題はその後のダニエル書の引用である。これは帝国批判の文脈のなかでのダニエル書の言葉である。現体制批判として語られたと解釈した大祭司は、自分に対する冒涜として激しく怒った。そして、死刑の決議をしていく。果たして、イエスは死罪に相当することをしたのであろうか。少なくとも現在の我々の感覚では、冤罪としか言いようがない。私はどうしても「死んでくれてありがとう」とは言えない。人に手によって殺されて“よい”命はない、というのが私の信仰である。たとえ“冒涜罪”であろうとイエスの死がいかに不当なものであったかを福音書は伝えている。
(安田)

2010年5月23日(日)
「逃げてはみたものの」マルコによる福音書14:42~52 ペンテコステ礼拝

 聖霊降臨日(ペンテコステ)を迎えた。ユダヤ教でいう過越祭から50日目である五旬節に弟子たちの上に聖霊が降りたのである。「ペンテコステ」とはまさにその「50日目」を意味する。
 新たな力を得て宣教を開始した弟子たちであるが、そんな弟子たちがイエスが死ぬまで従順であったかというとそうではない。ある者はイエスを祭司長らに引き渡し、ある者はイエスなど知らぬと言い、そうでなくとも全員がイエス逮捕の時には逃げてしまった。
 「逃げる」というと、①何か犯罪を犯して逃亡する②災害から避難する③犯罪者から身をかくまう、などの場合があるが、この弟子たちの場合は、恐れをなし、自らの保身のために逃げたということになる。心が逃げたと言ってもいい。人はつらいことから逃げてしまうこともある。あるいは責任の重さから逃げることもある。心理学的には自分を守る防衛本能なのであろう。私も土曜日になるとしばしば“逃避行動”をとる。だが、自分がつぶれてしまわないためには時として逃げることも必要なのではないかと思う。
 弟子たちにとっても、イエス逮捕の場面で逃亡したことには自分を責めてしまっていたことだろう。しかし、その事があって初めて復活のイエスとの出会いのなかで、本当の赦しを体験した。それによってイエスの福音の意味を真に知ることとなった。先週の「止揚」についての説教で言えば、イエスに従う(従っているつもり)の弟子を「正」とすれば、逃げたことは「反」であり、そして聖霊降臨によって「合」=「止揚」し、新たな出発をしたということになろう。
 弟子たちは、逃げてはみたものの、結局は戻ってくることとなった。いや、逃げたからこそ、自分の生きる道を見つけることができた。心はすでにイエスに捕らえられていたのである。イエスと出会ってしまったという事実からは逃げることが出来なかったということだろう。どうせイエスの愛からは逃げることができないのである。だから、無理せず、ちょっとくらい逃げてもいい。
(安田)

2010年5月16日(日)
「苦しいけれど、これでいい」マルコによる福音書14:32~41

 先日の教会懇談会では、伝道においては何よりも祈りが大切であると言う話がでた。イエスが語るところでは、祈りは量ではなく質であるということである。くどくどと祈らずにこれだけを祈りなさいと示された気が「主の祈り」である。そしてまた、イエスの祈りが、もだえながらの祈りであったことが、今日の聖書には記されている。それはイエスが神に向かうときの姿勢を示している。そのような祈りを私たちはしているのだろうか。私はとても毎日の祈りでそのようなことができているわけではない。過去の人生において、数回でしかない。振り返れば「苦しいときの神頼み」であったとも言える。イエスも苦しさのなかで祈った。これが「苦しいときだけ」では困るが、「苦しいときこそ」祈ることができるというのは幸いなことなのだろう。
 イエスは何を恐れ、何に悲しんでいたのか。悲しかったのは、弟子たちに、自分の苦しみが分かってもらえないという孤独さである。イエスは、出来ることなら苦しみを取りのけてくださいと祈り、でもそれは自己の願いであり、神の御心が別の所にあるとこも知っていた。それでもその神の御心を受け入れ、神に委ねることができるまでには、3度、行きつ戻りつしている。
 受難物語では「3」という数字がたくさん出てくる。それは「1」でもなく、また数の多さを示す「7」などでもない。「3」に至るまでには、「2」という数字がある。その「2」という、「3」に至るまでの部分に注目せよというなのではないだろうか。3日目の復活で言えば、弟子たちが悲しみ、また沈黙していた時。ゲッセマネの祈りで言えば、神の御心を受け入れるまでの葛藤の時。ヘーゲルの弁証法で言えば「正反合」という三段階を経て、高い段階へと「止揚」する。「反」はぶつかり合いである。イエスにおいても、そこを経て、やっと「これでいい」といい、「立て、行こう」ということができた。
 私たちもスリーステップ、3拍子で、祈りつつ、生きていきたい。
(安田)

2010年5月9日(日)
「マザー」マタイによる福音書12:46~50

 本日は母の日です。十戒の中には、父、母を敬えとありますが、それは、それを守らない人がたくさんいる、だからそういう戒めを神が与えたのです。
 本日、ジョン・レノンの話をします。父、アルフレッド、母、ジュリアのもとに生まれたジョンは、すぐに捨てられました。月日が経って、ジョンが5歳の時、また、父、母が現れ、ジョンを引っ張り合いしましたが、結局、ジョンは、また捨てられました。また、月日が経ってジョンが16歳の時、母ジュリアと仲良くなれるときが来ました。母がくれたバンジョーを、ジョンは一生懸命練習しました。そんなときははジュリアは、交通事故で即死しました。ジョンはその時、神を呪ったそうです。
 「マザー」というジョンの歌があります。サビの部分が

 「母さん行かないで
  父さんもどってきて」
ジョンの正直な歌です。ジョンはその後、ヨーコと結婚し、ヨーコのラブソングばかり作りましたけど、最後のアルバムのなかで「ウーマン」という曲を作りました。ジョン曰く「すべての女性に捧げる歌」だそうです。
 さて、本日のもう一つの聖書の箇所ですが、イエスさまが肉の家族より、信仰の家族が大切だと言っています。ここで思い浮かぶもう一人の「マザー」がマザー・テレサです。貧富の差の激しいインドという国で、死者の祈りの家というのを作りました。今で言うところのターミナルケア・ホスピスのようなところです。空いての宗教にあわせて葬儀をします。これこそ本当の奉仕であると思います。
 本日の箇所を、このいずみきょうかいにおきかえたら、皆さんはわたしの兄弟姉妹、父、母、祖父、祖母、子どもたち、孫たち(?!)にあたります。もちろん、その中心はイエスさまです。この大きな主の愛に応えて、私たちの家族は、年功序列ではなく、大人も子どもも互いに仕え合って生きたい。「一つの部分が苦しめば、全体が苦しむ」(コリントの信徒への手紙1)。そんな家族でありたいと思います。
(安田)

2010年5月2日(日)
「転んで起きる」マルコによる福音書14:27~31

 七転八倒するのが私たちの常であるが、“七転び八起き”という言葉もある。これが実は聖書の言葉が語源であるという説もある。箴言24章16節に「神に従う人は七度倒れても起き上がる。」という言葉があるのである。
 そもそも7回しか転んでいないのに、どうして8回起き上がることが出来るのか。8回目は大きな飛翔であるという人もいる。また、まず起き上がることから始めないと転ぶことさえないからだという話もある。いずれにしても人は必ず転ぶものなのであろう。聖書では“7”という数字は、完全数とも言われ、数の多さを表す。とにかくたくさん転ぶのである。でも、その数の多さをさらに越えて起き上がることができるのだ、転ぶことの悲しみや痛みより、起き上がって歩きだす希望が上回ることもあるのだ、ということなのかもしれない。
 ペトロも転ぶことが多い歩みであった。イエスに「サタン」とまで言われ、漁師のくせに湖の上での突風におののき、イエスに叱られてしまう。挙げ句の果てに捕らえられたイエスを「知らない」と拒んでしまう。
 「つまずく」という聖書の言葉は、まさにけつまずいてすってんころりん転けてしまう様子を表している。そんな様子をマルコ福音書はゼカリア書13章7節の言葉を用い「わたしは羊飼いを打つ。すると羊は散ってしまう」と書いているが、このゼカリア書を開いてみると「羊飼いを撃て、羊の群れは散らされるがよい」と命令調の言葉になっている。もとの言葉からすれば「つまずくがよい」という意味あいになる。つまずいていいのだ、つまずくことを恐れてはならない、という言葉としてとらえることも出来よう。だが、箴言の言葉にしたがえば、神に従う人はつまずいてもつまずいても起き上がるのだという。仮に7回倒れても、もう一度神に従っていこうという思いが少しでもあれば、起き上がることができる。過激な行動をも辞さないイエスに従おうとすることは容易なことではない。ペトロのごとく、ついて行けなくなり、つまずき転ぶこともあろう。それは時として必要なことなのだとペトロのその後の歩みから学ばされる。
(安田)

2010年4月25日(日)
「イエスの血肉」マルコによる福音書14:22~26

 私が独り身で悶々としていた10年位前のことである。その時の教会員のOさんが食事に誘ってくださった。その時、Sさん、Kさんも一緒に食べたのが“フォアグラ”というやつである。初めての味であった。Oさんの思い出と共に今でもその味を覚えている。その時ご一緒したお三方とも今は天国にいる。
 「同じ釜のメシを食う」とか「食い物の恨みは恐ろしい」などと言うが、食事の記憶というものは鮮明である。おそらく弟子たちがイエスと共に食した最後の晩餐も彼らの記憶に鮮烈に留まったことだろう。私たちにはその記憶は残念ながら直接思い起こすことはできないが、聖餐というのは、その出来事を想像しつつ“思い起こす”ことでもある。
 先日、大阪教区の部落解放協議会で、「とことん部落問題」と題してジャーナリストの角岡伸彦さんがお話しをしてくださった。よく「部落出身者」という言葉が使われるが、「出身」の定義が多様あるいは曖昧な現在、角岡さんは「部落関係者」という言葉を提案していた。だが、それを聞いた最初は「関係のある人」「ない人」を分けるのはどうなのだろうかと疑問を感じた。その後、クリスチャンではない角岡さんは「聖餐式をします」と言って、さいぼし、油かすを切り分け、皆に配った。そして言った。「これを食べた皆さん、これで関係者になりました!」と。なるほど「関係者」というものは「関係者になる」ということでもあったのかと感嘆した。イエスの言葉に則して言えば「隣人となる」ということか。
 聖餐というのはまさに「関係者となる」ということかもしれない。そしてイエスが隣人となってくださっていることを覚え、またイエスを隣人と感じ、共に食した仲間が隣人であることを確認するものと言えよう。
 私たちは体験のなかで得たものを精神的な血肉として生きている。イエスはパンを「これは私の体」、ぶどう酒を「これは私の血」と言って弟子たちに配った。イエスの言葉、イエスの行いが私たちの心の血肉となることを願っていきたい。
(安田)

2010年4月18日(日)
「イスカリオテのユダ」マルコによる福音書14:10~21

 新共同訳聖書では「ユダ、裏切りを企てる」と標題に記され、本文においても度々ユダに関して「裏切る」という言葉が用いられている。がしかし、この「裏切る」と訳された言葉は、原語においては「伝える」「手渡す」といった意味あいはあっても「裏切る」というニュアンスは全くない。むしろ良いものを渡すという肯定的な意味あいである。これを「裏切る」と訳してしまったのは明かな誤訳である。多くの所で「引き渡す」と訳されているのだから、そのように統一しなければならない。
 《ユダ=裏切り者》という固定観念、先入観がそのような訳にしてしまったということであろう。この誤訳は400年も前の英語訳聖書から始まっている。それが日本語聖書にも入り込んでしまった。
 ユダが本当にイエスを裏切ったのかどうかについては、今なお様々な説がある。「ユダ福音書」が発見されてからは、ユダこそがイエスの真の理解者であったという説も強くなっている。史実は今となってはわからないとしか言いようがない。問題は、聖書には本来「裏切った」とは書いていないのに、そのように間違った訳をしてきてしまい、それが固定観念を生んでしまったということである。そしてその思い込みは、人に罪をなすりつけてしまいたがる人間の心から生まれているのではないかということである。ユダ本人の罪より以上に、そのように他者に罪をかぶせてしまうことの方が大きな罪である。往々にして私たちの社会では弱いものに罪がかぶせられていく。今一度《ユダ=裏切り者》という固定観念を捨てて聖書を読んでみないといけない。
 イエスの受難の物語は、死んでしまったユダに罪をかぶせ、祭司長たちはローマにイエスを押しつけ、ローマ総督ピラトはユダヤ人にイエスの死の責任をなすりつける。そんな人間の「罪」のなかでイエスは十字架に架かっていった。だがその全てを知っていたイエスは、そのような人の「罪」をも受け入れていき、神の計画としてすべきことをしていったのである。
(安田)

2010年4月11日(日)
「死んでも生きる」ヨハネによる福音書11:17~27

 ラザロの復活物語を通じて、主の復活について考えてみたいと思います。本日、お読みしました箇所に「死んでも生きる」という話を中心に説教したいと思います。 
 人間は皆、死にます。しかし、イエスは「死んでも生きる」と言っています。まず一つ押さえておきたいことは、この奇跡はイエスさまだからできるということです。主イエス以外の人に死者の復活はできません。今、現在、私たちは死んでも生きかえりはしません。終わりの日がきたら復活するということです。
 私の父、母のことを例にあげたいと思います。父は一晩の内にあの世へと生きました。私が22歳の時でした。悲しかった。そんな父の一番の思い出は「おまえはおまえの信じる道を行け」という言葉でした。大学受験で浪人していたときでした。家の中のもめごとがあり、私が父に「お父ちゃん、オレ、もう就職するわ」と言ったとき、貧乏な家だったにもかかわらず、父は「おまえはおまえの信じる道を行け」と言われたのがものすごくうれしかった。私の心の中にいつも父がいます。それが死んでも生きるということではないでしょうか。
 母も同じです。愛情を持って子どもを育ててくれました。私は4人兄弟で、家も貧乏で、苦労も多かったと思いますが、4人の子どもを本当によく育ててくれました。母の思い出もまた私の中で生きています。
 さてここで視点を変えて考えてみたいと思います。「死んでも生きる」の反対語は「生きてても死んでいる」ということです。昨年、私が入院したときに知り合ったTくんの話をします。彼は母子家庭で育ち、中学、高校と番長でした。しかし、彼は覚醒剤に手を染め、またそれだけではなく、覚醒剤を仕入れては自分の子分に売っていたのです。それが学校で発覚し、彼は退学、少年刑務所送りになったのです。入院していた頃、彼のお母さんが一度だけ見舞いに来ました。うっすら涙を浮かべていました。見舞いが終わって、彼も泣いてこう言いました。「悪寒の涙見て、初めて自分が悪いことしたんやとわかった。オレもこれから人生やり直しするわ」。涙の底にある強い愛が彼を変えました。それまで、生きてても死んでいた彼が、よみがえったのです。これこそ復活です。
 愛が人を変える。それがキリスト者の根幹です。私たちも皆、イエス様と出会って変えられました。イエス様と出会って、よみがえったのです。この喜びを他の人にも伝えていきましょう。復活節のこの時、イースターの喜びをかみしめながら過ごしましょう。
(福田)

2010年4月4日(日)
「葬りとよみがえりの備え」マルコによる福音書14:1~9 イースター合同礼拝

 イエスが十字架に架けられたのは、過越祭、除酵祭の最中であった。エルサレムの町は巡礼者で溢れていた。過越祭にしても除酵祭にしても、出エジプトの際、イスラエルの民を神が守ってくださったことを覚え、祝うものであった。過越祭には羊が屠られ、除酵祭では種なしパンが用いられる。いずれも人々のいのちを養う糧である。二つの祭は「いのちの祭」であった。ところが、その「いのちの祭」の始まりの日にイエスは殺される。「人殺しの祭」にしてしまったのである。
 イースターにはたまごが配られる。これはまさに「いのち」を象徴するものである。動かないように見えて、そこには秘められたいのちの力がある。「人殺しの祭」をもう一度、本当の「いのちの祭」に戻していく。それがイースターなのではないだろうか。
 さて、その祭の前日、イエスらがベタニア村にいた時のことである。香油の入った壷を抱えた一人の女が入ってきた。名前はわからない。福音書によってその女性の行為もやや異なっているが、つまりは高級な香油をイエスの体に塗ったが為、おそらく弟子たちから「なんともったいない」と非難されたということのようである。弟子たちの言い分からすれば、高級な香油をお金に換えて、貧しい人に分けた方がイエスの普段の行いにずっと適っているのではないかということであろう。が、イエスは言う。「貧しい人々は何時もあなたがたと一緒にいる。」「わたしはいつも一緒にいるわけではない。この人はできるかぎりのことをした」。貧しい人々と分かち合っていくことは、あなたたち自身が、自分の力でしなさい。できるときに、その人のできることをしなさい、というメッセージをそこに感じる。この女性は、その時できる最善のことを選んだ。その選びを非難してはいけない。
 この女性は、イエスの「葬りの準備」をしたという。実際に、香油は遺体に塗ることにも用いられる。弟子たちにはわからなかったが、この女には、これからイエスがどこに向かっていこうとするのかがわかったのだろう。イエスを理解した一人の女は「語り伝えられる」であろうとイエスは言っている。
(安田)

2010年3月28日(日)
「予定は未定」マルコによる福音書13:32~37

 自分の生きている間は実現できないかもしれないが、こうなってほしいと願うことはないだろうか。私にとっては“この世から暴力がなくなること”が、それである。一切の人を殺す道具もなくなってほしい。そして人の命を奪っていく差別や権力による抑圧、また言葉の暴力もそれに含まれる。でも、自分の代ではそれはかなわないかもしれない。だから次の世代に託していくことも大切である。
 イエスの再臨は、2000年来待ち続けても未だに訪れない。再臨を待ち望むということはどういうことなのだろうか。再臨信仰は、それを重視する教派もあれば、あまり強調しない教派もある。日本基督教団信仰告白では「主の再び来きたりたまふもうを待ち望む」とはしているが、私がそれを熱く語るということはしていない。日本基督教団では、戦時中、主イエスが再臨し、イエスによる支配が訪れるということを強く主張したホーリネスのグループが「天皇の支配を否定するものだ」とされ治安維持法によって弾圧された。獄死した牧師もいる。そして当時の日本基督教団は、ホーリネスの人々をばっさりと切り捨てた。後に謝罪はしてはいるものの、信仰告白が制定されたときには、謝罪も反省もしていない。戦時中の日本基督教団の「教義の大要」は「主の来たり給うを待望むものなり」としていた。「再び」という文言がないのである。私はそこに“逃げ”を感じる。そうしておきながら、戦後の信仰告白に「再び」を無反省のまま書き加えたのは、果たして正しかったのだろうか。
 再臨とは、必ずしもイエスがその姿のまま再び訪れることを待ち望むということではないと思っている。新約の時代、初期のキリスト者はそう信じていた。だが、後期のパウロの手紙では次第にその影が薄くなる。そして、「いつ」「どのように」ということを論じることが再臨を信じることではないと言われるようになっていった。「いつ」「どのように」ということに目を奪われると、「今」が失われてしまう。むしろ、神によって与えられている自分の命について、その一瞬一瞬を、神の前に真実を持って生きるべきだというメッセージがそこには込められているのだと思う。「今の自分」を問いつつ、なお未来を信じ、また未来に託し、神の国をつくるために「今」何をすべきか、それを考えていくことが求められているのだろう。
(安田)

2010年3月21日(日)
「苦難の日」マルコによる福音書13:14~31

 紀元70年、エルサレムはローマ軍により攻撃を受け、神殿も破壊されていく。その後の歴史をも変えていく出来事であった。一般的には、このことによりユダヤ人は離散され、世界各地へと追放されたと言われてきた。だからこそ、20世紀になってからのユダヤ人の「約束の地」の帰還、イスラエル建国の正当性が主張されてきた。
 イスラエルのテルアビブ大学教授シュロモー・サンドは、このほど『ユダヤ人の起源-歴史はどのように創作されたのか』を著し、イスラエル国内でもベストセラーとなっている。それによれば、「離散の民」というのは神話であって、歴史的にはその地に住むユダヤ人はローマの宗教となっていくキリスト教に改宗されたのだという。そして7世紀になりイスラム勢力の支配により、多くがイスラム教徒となった。つまり今のパレスチナ人というのは、もともとのユダヤ人の子孫ということになる。
 もちろん一つの「説」ではあるが、十分な説得力を持つ。最近の歴史学的、考古学的研究により、聖書に出てくる記述の史実性を疑わざるを得ない部分も多くなっている。私も信じ込んでいた事柄が覆されようとしている。もし、そうなら私も今まで嘘をいってきてしまったことになる。聖書の記述とどう向き合い、どのように語っていくのか私自身の課題ともなっている。
 実を言うとキリスト教書には入門書にしろ、専門的な注解書にしろ、あまりに「嘘」が多い。聖書に関しては「わからない」ことの方が圧倒的に多い。一つの聖書箇所の解釈にしても、それはその解釈者の思い込みであったり、仮説にすぎない。なのに、「~なのである!」と断定的に語っているものが非常に多いのである。「~なのであろう」「~と思う」「~の可能性もある」というならいい。断定的に語るのは「嘘」ということになるのである。
 説教は「神の言葉の取り次ぎ」であるという人もいる。だが私は私の信仰により、自分の言葉しか語れない。時に大胆に仮説も語るが、これが神の言葉だと思うことは傲慢に陥ることすらある。(この要約では紙面の都合上、やや断定的に書いていることもあるが)説教では「~と思う」と語るのが多いのはそういう事である。今日の聖書の箇所は「わからない」ことだらけである。
 間違えのない事実、それはイエスがこの世に生まれ、そして十字架に架けられたということであろう。そして自分が「信じている」という心の中の事実である。
(安田)

2010年3月14日(日)
「あわててはいけません」マルコによる福音書13:1~13

 福音書は最も早く書かれていると考えられているマルコによる福音書でさえイエスの死後30年以上後に書かれている。だから、イエスの言葉も人伝えで語られてきたものがほとんどである。そしてそれぞれの福音書には、それが書かれた時代の状況が反映されているし、その時代状況の中で著者の思いを語っている部分も多い。特に13章はその傾向が強い。
 マルコ福音書が書かれた頃、時代はもうすでにキリスト者への迫害が起こっている最中であった。また、ユダヤ人によるローマへの抵抗運動、そして争いが起こっている頃でもあった。初期のキリスト者にとってもユダヤ人にとっても、またローマにとっても混乱期と言っていいだろう。
 多くの書物というのは、苦しい時代にこそ書き残されることがあるし、またその方が迫力がある。旧約聖書の主だった部分はバビロン捕囚というユダヤ人の信仰的、文化的危機の中で書かれている。
 また同時に混乱の中、苦しい状況の中では、偽預言者、偽メシアというものが出現するのは、今の時代でも同じである。「終わりの時は近い!」と神の名を借りて語る者がいたら注意せねばならない。
 だが、聖書はそんな時こそ、あわてるな、惑わされるなと忠告をする。迫害を受けているキリスト者に向かっては、「耐え忍べ」と語る。決して泣き寝入りせよということではない。我慢しろということではない。語るべきをしっかりと語り、自分の思いに固く立てばいいのだ、と励ましを送っているのである。マルコ13章は、小黙示録とも呼ばれている。黙示録というとわかりづらい書の代表格のひとつでもあるが、その時代の人にはピンと来るものがあったろうし、そこから希望を得たのであろう。
 苦しみというものはどうしてもやってきてしまう。そこであわてると、つい人を惑わす言葉に流されてしまう。そんな時こそ、一時、ぐっとこらえ、時を待ちつつ、何が大切なのかを自ら考えなさいと語りかけているのだろう。そうすれば主イエスの言葉が聞こえてくるに違いない。
 困難にぶち当たったとき、何もできなくなってしまうこともある。それも神が与えてくださっている大切な時なのだろうと思う。社会的なサポートシステムは重要である。だが、私たちにとっての最大のサポートシステムは神の支えであると信じていきたい。そしてあわてふためきそうになったときこそ、聖書の言葉にゆっくりと耳を傾けていきたい。
(安田)

2010年3月7日(日)
「精一杯の献げ物」マルコによる福音書12:41~44

 神殿の賽銭箱に、金持ちがたくさんの献金を入れたのに対し、全財産である銅貨2枚という最小単位の硬貨を入れた貧しいやもめを「だれよりもたくさん入れた」と賞したイエス。
 一般的には「尊いやもめの信仰心」「自分の全てを献げることが真の礼拝」「イエスが命をささげたことの予言」などと解釈されている。
 だが、マルコ福音書の文脈では、やはり神殿をテーマにしていることがわかる。果たして、イエスは神殿で何をしていたのだろうか。何を見ていたのだろうか。「賽銭箱に向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた」とある「見る」は「観察していた」ともとれる言葉が使われている。神殿を「強盗」と言ったイエスである。賽銭箱にお金が投げ入れられ、さらに肥え太っていく神殿を厳しい目で見ていたのは確かだろう。賽銭箱は「女(婦人)の庭」と言われているところにあった。女はそれ以上奥深くには入ることができないという差別構造の中に建っていた。「異邦人の庭」もしかりである。そうしながら貧しい女性からもお金だけはしっかりとるのか・・・、そんな思いを抱いていたのだろうか。
 そもそも座ってみていたイエスに、そこにやってきた女性がやもめであり、入れたお金が全財産であったことを何故知っていたのか。もしかしたらイエスはこの女性と知り合いだったか、あるいはこの出来事の後で声をかけたのではないか。
 イエスは、その女性の状況を何らかの形で知り、そこに秘められた女性の「決意」と出会ったということではないかと想像する。何かを決断し、何かと決別しようとする姿を思い浮かべるのである。もしかしたらその表情は硬く、涙さえ浮かべていたかもしれない。その女性を誉めたと言うより共感したということだったのではないか。
 もう一つの「選び」が女性にはあった。賽銭箱は13個あったらしい。「神殿修理のために」とか「大祭司のために」などと、それぞれの目的が記されていたのだろう。金持ちは選ぶことなく全てに入れればよい。2個の銅貨しかないこの女性は、どれかを選んだことになる。何を選んだのかはわからない。だが、イエスは見ていた。イエスだけが知っていた。
 私たちも、何かと決別したり、決断をしたり、選ばなくてはならない場面に遭遇する。人知れずそれを考えねばならないこともある。神のみが知っているということもある。それでいいのだろう。そんな私たちの決断が主イエスによろこばれるものでありたい。
(安田)

2010年2月21日(日)
「権威の衣を捨てて」マルコによる福音書12:38~40

 私はガウンというものを持っていない。2度ほど友人から借りた経験はあるが、どうもしっくり来ない。
 京都教区が行ったアンケートで「『あなたの教会における権威』としてどのようなものがあると思いますか?」という問いに対して第一に挙げられたのが「牧師のガウンの着用」だった。カトリックにおける「聖職者」のガウンの様式が確立したのは10世紀頃であるらしい。ルターらの宗教改革者がそれに対してアカデミックガウンを着用しだしたのが、現在のプロテスタント教会の牧師の黒いガウンの元になっている。教会の歴史の中では教職の権威づけの一要素となったと言われる。
 『ミニストリー』という牧師向けの雑誌の中で同志社大学の関谷直人さんが「牧師のパワハラ」について書いている。大声で怒鳴る「激昂型」牧師も、かつては「伝説」として語られもしたが、時としてこれは言葉の暴力となる。「パワーハラスメント」である。また静かに、しかし陰湿に相手に深い傷を負わせる「モラルハラスメント」も存在する。たちが悪のは、そのような行為を「聖職」であることを盾に、あるいは「聖書」を持ち出して正当化することがしばしば行われることである。「権威」の衣を着て上に立ち、人を傷つけていくことがあるということを、牧師は自覚しないといけないだろう。
 イエスは「長い衣(正装のこと)」を着て人の前を歩き回り、挨拶してもらうことを好み、上席、上座に着きたがる律法学者を「人一倍裁きを受ける」者として厳しく批判する。さらに彼らは人の苦しみにつけ込んで祈祷料を巻き上げているともいう。これらの批判はまさに「聖職者」に向けられた言葉であろう。絵画などでは真っ白の衣を着たイエスがイメージされていることが多いが、普段は弟子たちと変わらない普通の服を着ていたはずである。が、そんなイエスは十字架にかかるとき、その最後の衣さえも脱ぎ去った。全ての権威を捨てた人を私たちはキリストとしている。
 キリストの「力」とは決して権威的に上から押さえつける「力」ではない。むしろ下から支えてくださる力と言ったらいいだろうか。地上に気温が与えられるのは、太陽からの光が直接、空気を暖めるからではない。大地が温められ、その熱が下からエネルギーとして与えられるからである。
(安田)

2010年2月14日(日)
「油注がれた者」マルコによる福音書12:35~37

 私たちは「イエス・キリスト」と呼ぶことで、イエスはキリストであると告白する。私たちの信仰の要である。「キリスト」とは救い主であり、メシアと同義語である。ヘブライ語でメシアは「油注がれた者」を意味し、旧約では王や祭司が任職の香油を注がれたことから、待望されたイスラエルの王を示すものとなった。それをギリシャ語に直したのが「キリスト」である。
 イエスは自分をメシアと称したのであろうか?少なくとも福音書では自らを「メシア(キリスト)である」と語っている箇所はない。弟子や癒された者が口にしているのみである。福音書では「キリスト」という言葉自体、思いの外、出てくる回数は少ない。マタイ5回、マルコ2回、ヨハネ3回、ルカでは0である。「メシア」と言い換えられている部分にしてもマルコで7回、他の福音書は10数回である。諸々の手紙ではトータルで481回も「キリスト」という言葉が出てくることを考えればかなり少ないと言える。本当に「イエスはキリストである」という告白は"要"なのだろうか。むしろイエスは「メシアだということを言うな」「それはあなたが言うことだ」と語っているのである。「私は自分ではメシアだとは言わないが、あなたはどう思うのか」というイエスからの問いかけにも思える。
 しかし、いやだからこそ、私はあえて「キリストである」という告白はゆるされているのだろうと思う。そう告白してしまうと、きっと告白の直後に「サタン!」とまで言われたペトロのように叱られてしまうだろう。ペトロはしかしなお、イエスの十字架の後、キリストを告白せずにはおられなかった。叱られるとわかっていて、なおそうせずにはおられない私たちであってもいい。叱られると自覚することも大切である。それは裏切るかもしれない自分の弱さを認めることである。
 偽物の"メシア"は、自分でメシア性を宣伝したがる。現在もそんな偽物に溢れている。逆説的であるが、自分でメシアとは言わなかったイエスにこそ、真の姿を見る。
(安田)

2010年2月7日(日)
「はぐれ学者」マルコによる福音書12:28~34

 次々とイエスのもとへ質問をぶつけにくる者がいるが、このマルコ福音書では珍しく質問をした律法学者が誉められている。「あなたは、神の国から遠くない」とまで言われている。もしこのような学者がいたなら、もしかして破門からも遠くないかもしれない。
 だが他の福音書ではやはりイエスを試そうとしてやってきたと書かれている。またルカ福音書では、神を愛し、隣人を愛せというのが最も大切な律法だと口にしているのは律法学者の方である。一体、この答えを口にしたのはイエスなのか、律法学者なのか。
 そもそも「神を愛する」こと、「隣人を愛する」ことは、当時のユダヤ教の中でも祈りの言葉になるほど大切な律法として扱われていた。私たちが「主の祈り」を暗記しているくらい、あたり前のものだった。だからわざわざイエスが口にしなくとも、誰もが答えられるようなものだった。人があたり前に言っていることを口にするのはイエスらしくない。
 だが今さらながらひとつの発見をした。マルコ福音書では「“心”を尽くし、“精神”を尽くし、“思い”を尽くし、“力”を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」とイエスは語っているが、この律法の元となる申命記6章4節には“思い”という語は出てこない。ユダヤ教の祈りでも常に3つだったらしい。心-精神
-思い-は、日本語では何となく区別がはっきりしないが、“精神”は“命”を意味し、“思い”は“知性・理性”を意味する。イエスの答えを復唱した律法学者は、いつもの癖か3つにしてしまっているが、“精神”あるいは“思い”を“知恵”に言い換えてしまっている。また、34節の「適切な答え」の“適切”は、“思い=知性”と同根の言葉である。こうしてみると、マルコでは“思い=知性”がキーワードになっていることに気づく。
 神を愛するとき、信仰するとき宗教的には知性はむしろ妨げになると言われることすらある。カルト宗教では特に、考えることは罪とさえされる。だが、神は何を望んでいるのか、イエスならどうするか、私はどう行動したらいいのか、それを考えることが大切ということなのではないだろうか。考えた結果の行動が、ルカ福音書の「良きサマリア人」の話が表されている。この“知性”を盛りこむために、マルコでは「最も大切な律法」をイエスの口に語らせたということなのではないかと思わされた。
(安田)

2010年1月31日(日)
「私たちの思い違い」マルコによる福音書12:18~27

 イエスがエルサレム入りしてからというもの、次から次と議論をふっかけてくる者たちがいる。祭司長やら、律法学者やら、ファリサイ派やら、ヘロデ派。今度はサドカイ派である。この人々はユダヤ教の派閥の中でもとりわけ律法を遵守する者たちであった。同じ律法遵守派でもファリサイ派と違うのは創世記から申命記までのモーセ五書のみを重視したところに特徴がある。そうすると死者の復活は否定する立場となる。
 仮に7人の男兄弟がいて、その「長男」が結婚をしたが子どもをもうけることなく死んだ。そうするとその弟が「長男」の妻と結婚する(させられる)という律法があった。次々に兄弟は死に、その度に弟は死んでいった。そして妻も死んだ。そうなると復活の時には、その女の夫となるのは一体だれなのか、と言うわけである。実際にはそこまでの話はあり得ないだろうが、律法を遵守すればあり得るというのである。神の律法に矛盾はないはずだから復活はないのだというかなり屁理屈とも言える論を展開していたらしい。
 教会では、親しい人の死に際して、いつの日か天にて相見えることができると語られる。私も葬儀ではそう話す。だがイエスは天においてはみ使いのようになるのだということを言う。「天における天使」と訳せる言葉を使っている。天使には性別はないらしい。そうすると性別を超えて人間的な「結婚」ということもないということかもしれない。現在においても結婚には人間的な打算や因習がつきまとう。結婚をしない人だっている。天においてはそのようなものからは解放されて神の世界で新しい交わりがあるのだろう。
 死のその後については、私たち人間の計り知れるところではない。人間が心配することではないのだ。サドカイ派の者もそこの所を思い違いしていたのである。
 イエスは「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ」という。死んだ後のことは全て神に委ね、そんなことを心配するより生きている私たちはどう生を全うするかを考えたらどうなのだと言いたいのではないだろうか。そして生きている私たちに働きかける神の恵みに感謝しつつ、その神に応えていくことを求めたい。(安田)

2010年1月24日(日)
「人のことは言えない」マルコによる福音書12:13~17

 自分のことというのは、わかっているようで実はわかっていないものである。だいたい自分の顔を直接見たことのある人はいない。鏡に映った自分は左右反対の顔である。イエスも「兄弟の目にあるおがくずは見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかない」(マタイ7章3節)と言う。
 他人を批判することも時として大切なことであろうが、その時、自分を省みているのか問われていく。「人を裁いてはいけない」というイエスのと言葉は、自分を絶対化してしまうことへの戒めである。
 イエスを陥れようと派遣されやってきたのは、今度はファリサイ派の者とヘロデ派の者であった。これには意味がある。民族の宗教を重んじるファリサイ派と親ローマのヘロデ派。彼らの「ローマへの税金を納めるべきか否か」という問いに、イエスが収めよと答えればファリサイ派が「異邦人に従って、律法を軽んじるのか!」と揚げ足を取り、収めるべきでないと言えば「ローマへの反逆罪だ」とヘロデ派が登場する仕組みであった。ローマの貨幣には皇帝の像と、その皇帝を「神の子」とする文字が刻印されていた。これは確かに偶像を拒絶し、唯一神を信仰するユダヤ人からすれば、見たくもないものであったろう。
 その肖像をイエスはあえて「見せてみよ」という。その肖像を示しながら「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」とイエスは切り返した。時として政治と宗教の分離として解釈されてしまうこともあるが、そうではない。「神のもの」とは明らかに神殿税のことを言っている。エルサレムに来て以来、神殿批判を重ねてきた文脈の中にこの言葉もある。神殿税は、全てのユダヤ人成人男子に対し科せられ、地域の組毎で徴収される。誰が払っていないかも丸わかりとなる。そんな神殿税で私腹を肥やしていたのが、祭司長を初めとする神殿の指導者たちということになる。
 そんな者たちの差し金で遣わされてきたのが、普段は考え方の相容れないファリサイ派とヘロデ派であった。彼らはイエスを「真実な方」で「分け隔て」せず「真理に基づいて神の道を教えておられる」と皮肉たっぷりに言う。ならばと、イエスも皮肉混じりに、あなたたちのやっていることはどうなんですかと問うた。
 イエスの答えは「逃げ」ではない。むしろ自分のことを差し置いて逃げているのはあなたたちではないかと問い返したのである。
(安田)

2010年1月17日(日)
「答えないという答え」マルコによる福音書11:27~33

 イエスがろばにまたがってエルサレムに入ったのが日曜日だとすれば、月曜日には神殿で供え物を売る人々の台をひっくり返したのが月曜日。そして火曜日には祭司長や律法の専門家との論争が繰り返される。十字架の出来事以上に、この論争にマルコ福音書は行を費やしている。
 「権威」をめぐっての論争とされているこの場面だが、どうも「権威」という日本語の響きに違和感を感じる。私たちは「神の権威」などと言いあらわすこともあるが、日本語での「権威」は「人をおどす力」とか「力ずくで相手を屈服させる力」といった意味がある。そもそも「威」という字は「か弱い女を武器でおどす様」を表した象形文字であると漢和辞典には書かれている。
 イエスは私たちを力ずくで脅したり屈服させる方なのだろうか。力ずくでイエスを抑え込んだのはむしろ祭司長やローマではなかったろうか。
 この「権威」と日本語で訳された言葉はギリシャ語では「行動する自由」が元来の意味であった。そこから派生して許容された権威や能力、支配力を意味するようになった。そのような本来の意味に立ち戻るならばイエスのエルサレムでの行動は「力」対「自由」の対決であったと言える。イエスの自由なふるまいは、力でねじ伏せようとする祭司長やローマ側には目の敵としてうつった。だからこそほってはおけないものとして十字架につけられていったのである。
 この「権威」をめぐっての論争もつまりは「何によってその自由を与えられたのか」ということを問うたものである。もちろんそれは神によって与えられた自由なのであろうが、イエスはそれすらはっきりとは答えない。神の名を語ることをしないのである。
 イエスが神の名を語ることにより、祭司長たちの罠にかかり「神を冒涜している」という口実を与えないという意味あいもあろうが、イエスが答えを言わないというのは、弟子たちへの言葉も含め、多くの場面に見られる。
 私たちの信仰生活においても、権威的に簡単な答えを求める方が楽な場合もある。自分で考えなくていいのだから。明確な(ただし真実ではない)答えを与えてくれるカルト宗教に人々が引かれるのもそのような理由によるだろう。考える自由が与えられ、答えをすぐさまに示されないということは、実は厳しいことである。楽な道ではない。「権威」からほど遠い子ろばに乗ってエルサレムへと入ったイエスは、厳しい問いを私たちに投げかけているということでもあるのだろう。
(安田)

2010年1月3日(日)
「供え物」マルコによる福音書11:15~26

 昨年11月に民主党の小沢一郎幹事長が「キリスト教は排他的で独善的な宗教」と発言したことに対し、キリスト教界からは批判が浴びせられたが、それは半分当たっていて、半分間違っている。確かに排他的な部分がないわけではない。それはイエスの教えというより、教会が組織化され、時として植民地支配の道具ともなった歴史を見るとうなづける。同時に、近年では教派、宗教を越えた対話もなされるようにもなっている。
 では仏教には排他的側面が全くないかと言えば、それも違うであろう。どんな宗教でも、ひとつ道をはずせばいくらでも排他的になってしまう危険が常につきまとっている。イエスが生きた時代のユダヤ教にも、それはあった。
 もともと遊牧が盛んであり、肉食を常とするイスラエルの民は、神への感謝の贈り物として、また神と共に食すという意味を込めて動物を供え物としていた。それは罪の贖いという意味が強調されるにしたがって、エルサレムの神殿では供え物用の動物が売られるようになった。ヨハネ福音書では牛、羊、鳩の名が記されている。こうなると当然、鳩より羊が、羊より牛が高価となる。金のあるものはより高価な物を買い、高価な分だけ多くの罪が赦されたと言われるようになる。この供え物の動物を飼うには、ローマ皇帝の肖像=偶像が刻印された貨幣であってはならぬ。神殿用の貨幣と交換せよ、ということになる。つまりは、両替手数料による収入、動物を売った収入は神殿へと転がり込んでくる。しかも、何百、何千人の人が買った一つ一つの動物をまるまる焼くにはあまりにも手間がかかるをわけであるから、一度献げられたものも、神殿の裏口からまた売り場へと戻される。一匹の動物で何度も儲けることができるのである。神殿には、神殿税による収入も相当ある。ローマ総督のご意向如何によって、いつでもクビにされる可能性のある大祭司のことである。ローマへの袖の下も公然の秘密として行われていたと想像できる。
 イエスは、このような神殿を「強盗の巣」と言った。宗教を金儲けの道具とし、金のあるなしで分け隔て、人を支配していくことに怒りを発した。イエスの教えは、人を解放していくものであった。それはマルコ福音書がイザヤ書の「民(民族)」をあえて複数形で引用したことにも表現されている。イスラエル民族だけではなく、すべての民族に神を解放したのである。これは命がけのことであった。この神殿での出来事は、イエスを十字架刑へと急加速させたのであるから。
(安田)

2009年12月27日(日)
「神に至る」ルカによる福音書3:23~38

 今年も最後の礼拝となったが、それぞれ一人一人どのような年であったであろうか。大きな悲しみを抱えた人もおられるだろう。世界を見渡せば不況の嵐が吹き荒れ、ここ日本でも不況、不況と叫ばれ続けてきた。アメリカ大統領が替わり、日本の政権も交代した“変化”もみられたが、果たして希望が見えてきたといっていいのだろうか。世を変えていくのは決して大統領でもなく、総理大臣でもない。わたしたち一人一人であることを肝に銘じたい。
 その希望の力を与えられていくのがクリスマスの出来事である。主の降誕から始まる物語が福音書にはつづられているが、さらに始まりの始まりはどこにあるのかを伝えようとするのが、マタイ福音書、ルカ福音書に記されたイエスの系図である。
 新約聖書の最初にわけのわからない名前がずらずらと並べられて、それでもう聖書を読む気が失せてしまうという話も聞く。マタイにしろ、ルカにしろ、系図を記した理由があるわけである。マタイではアブラハムから始まり、14代
×3でイエスにいたるという数字合わせにこだわっている。一方ルカはイエスからアダムまで過去へとさかのぼる形にしていった。なお、マタイとルカの系図を見比べるとその名前は全く一致していない。いずれにせよ史実を語ることが目的ではないのだからしかたない。
 ルカはイエスという人が「神に至る」ことを記そうとした。過去へも未来へもどちらの方向にたどっていっても神に始まり神に至ることを語ろうとした。その神の歴史の中にイエスの宣教があったということを意識してイエスが30歳頃から宣教へと向かっていったことをあえて書いている。そしてその“神の歴史”はわたしたちの中に生き続けている。
(安田)

2009年12月20日(日)  クリスマス合同礼拝
「ははマリアさん」ルカによる福音書1:46~55

O・ヘンリーの短編として最も有名なものが『最後の一葉』であろう。芸術家が集まる古びたアパートに共同生活をする二人の若い女性、スーとジョンジー。ある11月、ジョンジーは肺炎となり、医者は残された気力のみが命の綱となることをスーに告げる。ジョンジーが横たわるベッドからは、窓の外に枯れたつたの葉が見えていた。ジョンジーは落ちていく木の葉を眺めつつ、その最後の一枚が落ちたとき、自分の命も尽きると考えるようになった。そんな話を聞いてもあざ笑う階下の老画家ベアマン。最後の一葉のみとなった雨風が吹く夜、しかし、その葉は落ちなかったことで、生きる希望を見出し、回復へと向かったジョンジーであった。その二日後、老画家ベアマンの死をスーはジョンジーに告げる。そしてその残った木の葉は、ベアマンが雨に打たれ、自らが肺炎になりながらも煉瓦の壁に残した最後の傑作であったことを。「絶望こそ罪である」といった人がいる。イエスは「絶望」という罪から私たちを解放した。それが降誕の出来事であった。教会外階段の横に杏の木がある。ここしばらくの強い風で黄色くなった木の葉は全て落ちてしまった…かに見えた。偶然ではあるが、小さな葉っぱが一枚だけ残っている。小さい葉の方が風にも強かったということだろうか。それでも、この小さな葉もいずれ散ることであろう。だが杏の枝の先を見ると、もうすでに新しい芽が春に吹き出す準備をしているのがわかる。最も小さいもののなかに希望があることを知らせたのがクリスマスであった。イザヤ書では“芽”として、“若枝”として救い主を待望している。そんな希望の芽が、私たち一人一人に光として差し込んでくることを願っている。

2009年12月13日(日)
「道を敷く」ルカによる福音書1:67~79

 洗礼者ヨハネの父となるザカリアはエルサレム神殿に仕える祭司であった。また妻エリサベトは祭司アロンの家系であるという。いわば「名家」となろう。となればエリサベトに与えられた至上命令は「家を絶やしてはならない」ということ、つまり男子を生むということであっただろうと想像する。が、年をとってもエリサベトには子どもができなかった。そのプレッシャーと苦しみは相当のものであったろう。
 そこにやっと生まれたのがヨハネである。父ザカリアとしても、本音を言えば、その子には家を継いで祭司になってほしいと思ったに違いない。
 エリサベトが身ごもるという天使の知らせにザカリアが、何の証拠があろうかと反応してから、その子が生まれるまで彼は口が利けなくなったという。人間の思いは神の前で封じられ、沈黙の中にあってこそ神の意思を聴きとることができるのだということが物語られている。疑い、迷いも当然である。だが人間としての思いを語ってしまえば、神の意思が崩れてしまうのだということを聖書は語っている。
 1897年のことヴァージニアという一人の少女から新聞社に送られた「サンタクロースはいるのですか」という問いに答えた『ザ・サン』の社説は、本にもなって有名である。「この世には、愛や思いやりといった、目には見えないけれども確かに存在するものがある」と答えたのである。
 ザカリアにとっても、人間の言葉にならないところで、見えないところで、聞こえないところで、神の語りかけが確かに聞こえた。後に家を飛び出て、人々に洗礼を授けるという父からすれば信じられない出来事をなお神の意思として信じようとしたのがザカリアではなかったのかと彼の預言から感じるのである。
(安田和人)

2009年12月6日(日)
「事の初め」ルカによる福音書1:1~4

 英語では「福音」を「ゴスペル」と言うが「グッドニュース」と言うこともある。そもそも「福音」は「良き知らせ」を意味するギリシャ語から来ているわけだから、適った訳である。神が起こした出来事のニュースを記しているのが福音書と言える。
 ルカはそれを「事の初め」から書き記そうとしている。降誕を知らせる物語に始まり、イエス誕生の物語、イエスのなした業、語った言葉が書かれ、受難と死、そして復活へと導かれていく。ルカ福音書の続編とも言える使徒言行録ではさらに昇天、聖霊降臨の出来事、使徒たちの働きへと続いていく。教会暦もそのように移り変わっていくわけである。その中でも受難への道のりと復活劇はスケールの大きいドラマを描いている。
 その過程において、神は単に天上に鎮座しているのではなく、「移動」を繰り返す。幼子イエスとして地上に来られ、死において「陰府にくだり」(使徒信条による)、また地上に復活し、今度は天へと昇っていく。そして聖霊として地上に舞い戻る。これがルカの描く神の姿ということになる。
 洗礼者ヨハネやイエスの誕生、また聖霊降臨において、ルカは人々の「驚き」が随所に描かれている。往々にして新聞やテレビのニュースは、日常的な事は取り上げられず、スクープとも言える驚くようなことほど大々的に報道されるわけである。福音書も驚くようなニュースなのである。
 聖書を読んで、驚いたり、いぶかしんだり、戸惑ったりすることは決して間違っていない。むしろニュースの著者の望む受け止め方である。
 事の始まりはクリスマスの出来事であった。一年の始まりも私たちにとってはクリスマスである。もう既に事は始まっているのである。
(安田和人)

2009年11月29日(日)
「イエスのわがまま?」マルコによる福音書11:12~14

 アドベントに入った。神の冒険(アドベンチャー)の始まりである。だが教会がアドベントの飾りをする前から町ではきらびやかな電飾を見かける。年末も近くなるとクリスマス商戦という「戦い」となる。なんとか豊かな正月を迎えたいという知恵なのだろうか。クリスマスはその知恵にかなうものだったということか。とはいえ持っている物を分かち合っていこうという心の現れと考えればクリスマス商戦もあながち的外れではない。
 この近隣の教会でも12月25日には釜ヶ崎への弁当作りを行っている。決して「かわいそうな人にめぐんであげる」ということであってはならない。先日「ホームレス問題の授業づくり全国ネット」が作ったDVDの完成記念上映を行った。DVDには子どもたちがおにぎり作りをし、それを持って野宿をする人々を訪ねる「子ども夜まわり」の様子が映されている。「ホームレス」の人々と出会っていくことから偏見を取り除いていってほしいという願いを込めたDVDである。弁当作りもそんな「出会い」のきっかけとするためのものだろう。私も野宿者・路上生活者への差別偏見がなくなることを夢見ている。
 イエスの夢は「神の国」をつくることであった。それを阻んでいたものの一つとして目の前にあった神殿がうつった。だからこそ神殿の境内で商売人のテーブルをひっくり返すという「暴挙」にでたのである。いちじくの木を枯らした話は、神殿での出来事をサンドイッチして語られていることから、神殿との関わりで解釈する必要がある。山を動かす信仰とは、神殿という山を動かしたいというイエスの夢が語られたものといえる。それを信じつつ十字架にかかっていった。今、山は動いたであろうか。

2009年11月22日(日) 収穫感謝合同礼拝
「たべていくのはたいへんだ」イザヤ書2章4節

 「おまえには、二つの道がある。わしを殺せば、りっぱな男になったと言われるだろう。それは、ほんとうのめいよなのか。もうひとつの道は、殺さないことだ。そうすれば、おまえはほんとうに気高い心をもった人間になれる。だが、ものときは、なかまはずれにされるだろう。」(『ヤクーバとライオン』より)
 大人に成長したヤクーバは、戦士となるためにライオンを倒す試練を受ける。だが草原で出会ったのは傷ついて弱り果てたライオンであった。ライオンはヤクーバに二つの道を示した。ヤクーバが選んだのは「殺さぬ」ことであった。そのヤクーバが村に戻り、与えられた仕事は戦士ではなく、牛飼いであった。だが、その事があってから、村はライオンに襲われることがなくなった。
 ここまでが第1巻のストーリーである。物語は第2巻へと続く。
 飢饉が起こり、人もライオンも飢えていた。ライオンの長、キブウェは食料を得るために、「あの村」へ向かう。そこで出会ったのが「あの男」だった。牛飼いの男、ヤクーバは牛を守らねばならぬ。「任務と任務のぶつかりあいなのだ」。両者は闘った・・・かに見えた。しかし、どちらも勝とうとはしない見せかけの闘いであった。互いに尊敬の念と信頼で結ばれた。「もうどんなことがあっても、キブウェはその男、ヤクーバの信頼を裏切ることはないだろう」と締めくくられる。
 殺さぬ勇気、闘わぬ勇気、それが信頼を生んでいったことを語るフランス人・ティエリー・デデューによる名作である。人もライオンも生きていかねばならない。生きていくためには殺さねばならぬ。そんな「おきて」をくつがえしていくことは私たちにできるのだろうか。
 すべての人と人とが信頼で結びついた時、互いに尊敬しあった時、「ひとりじめ」するものはなくなるかもしれない。パレスチナにおいて虐殺が起こり、ガザでは生活物資が底をついている。その根本には差別があると岡真理さんは言う。
 「なかまはずれ」が問題だ。そこから富むものと飢えるものとが分けられていく。
 イエスが何千人もの人々と食を共にした時、「なかまはずれ」はなかった。もしかしたら、そこにいた人々こそ日常的に「なかまはずれ」にされていた人々だったのかもしれない。ヤクーバという村で「なかまはずれ」にされた男が信頼によって村を守っていたように、誰が「おきて」をくつがえしていくのか、考えてみたい。
(安田和人)

2009年11月15日(日)
「ドンマイ、ドンマイ」ルカによる福音書12章22~34節

 さて、本日の聖書の箇所は、「思い悩むな」というところです。このお話の前に「愚かな金持ち」のたとえ話があります。つまり、この思い悩むなとは、貪欲な金持ちが、今日は何を食べようか、明日はどんな服を着ようかと思い悩みをする、しかし、そのようなことをしてはならないとイエスさまが言っているのであります。
 子供の頃、嫌いな食べ物がいっぱいありました。しかし、ある時を境に、好き嫌いを一つずつ克服していこうと思いました。すると嫌いだった食べ物か,大好物に変わっていくんです。これこそが神の恵みだと思います。神さまが与えてくださった食べ物にまずいものなんてないんです。いろんな味がある、それこそが神の豊かさが示されているのです。クリスチャンは何でも食べる、おいしく食べる、感謝して食べる。これが思い悩まないことだと思います。
 次に衣服のことについて考えて見たいと思います。私は以前、礼拝の時に何を着ていくか思い悩んでいました。最初はスーツでした。そしてすぐに普段着になります。そして八幡ぶどうの木教会の伝道師となったとき、またスーツとなりました。いったい牧師は何を着るべきか?それは牧師によっていろいろです。その後、御存
じの通り、私はそううつ病になりまして、ある時、自分がイヤだと思うことは全てやめようと思いました。そうして今のようなかっこうになりました。大切な点は、自分なりの服装を考えることです。その時、本当の自分に出会えると思います。そういう時、もう思い悩みません。
 34節に「あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ」とあります。みなさんはどうでしょうか?思いあたることはないでしょうか?この34節は何が言いたいのでしょうか?それは、この地上の物ごとに富を浪費し、こころをうばわれないようにしなさい、ということです。それ故に、天に富を積みなさいと語られているのであります。みなさんも御自分に照らし合わせて考えてみてください。はたして自分が心うばわれている物ごとが神の御心に叶っているかどうか。御心にかなっているとき、私たちは、とらわれているものから自由になり、本当に思い悩むことから解放されるのではないでしょうか?
 本日の説教題は「ドンマイ、ドンマイ」としました。野球などの団体スポーツでよく使う言葉です。「気にしない、気にしない」という意味です。私たちもそう。「思いわずらう」とは気にすること。それをドンマイ、ドンマイという打ち消す信仰が必要です。

(福田鳥巣)

2009年11月8日(日)
マルコによる福音書11章11節

 イエスはエルサレムに到着すると、神殿の境内の中に入り「辺りの様子を見て回った」という。イエスが見たものは何だったのだろうか。エルサレムという町は、ダビデの時代に都として建てられて以来、光と闇とがおり混ざる場所となっていった。希望の地でもあると同時に、抑圧による悲しみの町ともなっていったのである。
 ソロモンが神殿を建ててから、そこはいけにえを献げることによって罪のゆるしを保証する場所ともなっていった。政治の中心であると同時に経済的にはエルサレムに住む王室・有力者・祭司が農民から収奪をしていく構造が作られていった。そしてそれを宗教が正当化していく。こんな状況にミカやイザヤ、エレミヤは厳しく警告を発している。
 ローマの属領となったイエスの時代、支配者はローマへの忠誠を誓うことによって統治責任が与えられた。イエスがエルサレムを訪れた時、その責任を負っていたのが神殿体制であり、大祭司であった。それゆえ神殿の力は政治・経済・宗教にわたるものであった。地方税、神殿税のみならず毎年20万人ともいわれる巡礼者が買ういけにえのための動物による収入だけでもかなりのものがあったであろう。
 洗礼者ヨハネは「洗礼による罪のゆるし」を伝えた。そしてイエスは無条件な神の愛による赦しを宣言した。「いけにえを献げなければ赦されない」と言ってきた神殿からすればたまったものではない。エルサレムでのイエスが権力者と衝突していくのは必然であった。
 さて、神殿を見回したイエスはベタニア(「貧しい者の家」「悩む者の家」の意)へ向かう。そこにはエルサレムから「捨てられた」人々が住んでいた。イエスがどこを「起点」としていたかが示されている。
(安田和人)

2009年11月1日(日)
「最後の一週間の始まり」マルコによる福音書11章1~10節

 映画「パッション」(メル・ギブソン監督)がアメリカで公開されたのは2004年の受難節が始まる日であった。十字架の場面にショックで失神してしまった人もあると聞く。そのタイトルはラテン語で「受難」を意味する「パッシオ」から来ていると同時に、英語での一般的な意味での「情熱・熱意・熱心」も含意しているようだ。
 イエスが熱心に求めた神の国、神の正義のために、苦難を受けることになっていった過程が最も表されているのがエルサレムに入ってからの一週間の出来事である。マルコ福音書では特に日を追ってその一週間が記録されている。
 イエス一行がエルサレムに入場した時、もう一つの集団がエルサレム入りをした。ローマの軍隊を従えたポンテオ・ピラトである。ユダヤ地方を含むこの一帯の総督であるピラトは、ユダヤ教の過ぎ越祭りに合わせ、エルサレムから西に遠く離れた海岸都市から訪れた。束縛からの解放を記念する過越祭の治安が目的であった。騎兵団、軍馬を従え、ローマの力を誇るデモストレーションである。
 それに意図的に対抗したのが平和の象徴である子ろばに乗ったイエスであった。このぶつかり合いがイエスを十字架へと招いていったというのがマルコの視点である。
 なぜ、イエスは死ななければならなかったのか、何のために十字架にかかったのか。キリスト教では「贖罪死」ということが信仰の一つとなっているが、4つの福音書や様々な書簡を読んでいくと、必ずしもその問いへの答えは一様ではない。ただ、イエスの、また神のパッッション(情熱)がイエスを死へと追いやったということは確かであろう。それでも本当の答えは人間の手の中にではなく、神に預けられているようにも思うのである。
(安田和人)

2009年10月25日(日)
「見えるようになりたい」マルコによる福音書10章46~52節

昨年公開された綾瀬はるか主演映画“ICHI”。女座頭市の物語である。目が見えず、同時に女であるが故の屈辱が描かれている。イチは人と関わることを恐れ、誰も信用することができない。「目の見えない者には境目というものがわからない。誰が悪くて誰がいいのか、そんな境目がどこにあるんですか。」というイチの思いは宣伝コピーにも使われた「誰を斬るかわかんないよ。見えないんだからさ」というセリフにも現れている。一人の浪人侍との出会いの中で次第に心を開き、愛するという気持ちが芽生えていく。しかし、やっと出会えたその人も、イチを守るために命を失ってしまう。そんな出来事があって「見えなかった境目が見えてきた気がする」と言う。ラストシーンでは世話になった子どもに「ねえちゃんにも歩く時は灯りが必要だったみたい。おかげで道が少し見えてきた」と語る。一人の愛する人を失って見えたものがあるということを物語る作りはこれまでの男座頭市ストーリーにはなかったものであろう。「見えるものにではなく見えないものに目を注げ」と聖書は語る。それは人の心 であったりイエスの心であったり、また神であったりする。本当の意味で見えるようになるというのはどういうことなのだろうか。「見えるようにしてくれ」と懇願した盲人こそ、イエスの本当の姿が、本当の心が見えていたのかもしれない。イチが見えてきたもののように。弟子たちにはその姿、心が見えていなかった。そのような意味でも「見えるようにしてください」と言わなければならないのは、むしろ私のように視力がある人間のほうかもしれない。目を閉じてイエスの姿を見ていきたい。(安田和人)

2009年10月18日(日)
「仕えるために」マルコによる福音書10章35~45節

 弟子の中でも筆頭格とされていたヤコブとヨハネの兄弟。それだからこそのおごりがあったのだろう。「栄光をお受けになる時、一人を右に、一人を左に」とイエスに願う。それはイエスがイスラエルのメシアとなり、世に君臨する時に大臣にしてくれという意味合いの言葉である。イエスはそれに対し、弟子たちの思い違いを指摘しつつ、「杯をうけることができるか」「洗礼をうけることができるか」と問う。杯は十字架を意味する。その文脈からすれば「洗礼」もむしろ水にしずむ苦しみを表している。
 イエスは「十字架を負え」という。がしかし、教会に来るものとしては苦しいことは避けて慰められたいと思うのも無理はない。それでいいのだろう。徹底的に慰められればいいのだろう。そしてそれが結果的に人をも慰め、人を愛していくものとして遣わされていくことになる。そうして、いつの間にか十字架を担っているものとなっていく。
 だけど徹底的に慰められ、自分を愛していくということが以外と難しい。自分が好きになれないという人も多いことだろう。しかし、実は私たちは既に主に慰められているのである。愛されているのである。
 恥ずかしながらも自作した「わかちあいたい」という讃美歌は、最初、4節とも「人は小さい」で締めくくっていた。人のおごりを顧みてのことである。だが川上盾さんからのアドバイスをうけて最後4節のおしまいは「人は大きい」とさせていただいた。「小さいけど大きい」。そんな人間である。高ぶりを捨てて、神の愛を肌で感じ、その愛により仕える者となっていくことができる。そんな「大きさ」を手に入れることができる。「偉くなる」というのは、小ささの中の大きさを身に帯びることである。
(安田和人)

2009年10月11日(日)
「先頭に立って」マルコによる福音書10章32~34節

 共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ)には、人々があるいは弟子たちが「驚いた」という記事が多く出てくる。マタイで10回、マルコで15回、ルカでは16回。イエスの言葉に、奇跡に、行いに周囲の者は驚かされっぱなしである。私も聖書を読んでいて驚く発見をすることがしばしばある。信仰というのはそんな驚きから始まるのかもしれない。ところがヨハネによる福音書となると、「驚く」という動詞は6回しか出てこない。しかもそのうち2回は「驚いてはならない」というイエスの言葉である。イエスの業は私たちからすれば驚くべきことであり、同時に神から見れば驚くべきことではないという、2つの真理がある。
 人々の先頭に立ってエルサレムへの旅を始めるイエスに弟子たちは驚いた。また恐れた。死をも覚悟した旅である。よほどイエスは険しい顔、緊張した表情をしていたのだろうか。イエスとて恐れはあったであろう。殺されるかもしれないにもかかわらず、それを覚悟で自らの道を歩いていく人の顔は弟子たちをも驚かせた。
 福音書のメッセージの大きな柱の一つが「恐れることはない」ということであり、それは「神が共にいる(インマヌエル)」からであるという福音である。神への“おそれ”は信仰にとって大切なことでありつつも、なお「恐れることはない」と語るのである。「驚き」「おそれよ」と心を揺さぶりつつ「驚くな」「恐れるな」と平安を与えるのが聖書のメッセージだ。
 人々の先頭に立ってエルサレムをめざすイエス。恐れつつ一人で歩んでいるかのように見えた。しかし、イエスは一人ではなかった。そこに神が共におられたのである。またそのことに驚かされ、同時に安心を与えられる私たちである。

2009年10月4日(日) 世界聖餐日
「主イエスの正体」マタイによる福音書16章13~20節

人間にはそれぞれ隠している正体があります。本日のテキストは、マタイ16:13~20ですが、イエスの隠されていた正体が明らかになっていきます。ペトロは言います。「あなたの正体は生ける神の子です」。しかしイエスは、その正体を隠すようにと弟子たちに言います。そして、その直後に死と復活を予告します。つい最近まで入院していました。それでもいろんな点でガマンしなければいけないこともありました。ガマンも必要、忍耐も必要なことです。イエスが弟子たちに秘密にしておくようにと言った理由の一つは、これはまず、弟子たちを思って言ったことでした。もし弟子たちが、「イエスこそメシアである」と公言すれば、まず弟子たちが捕まる。そして処刑される。そのことを思って秘密にしろと言ったのです。第2の理由は、キリスト者になることが、どういうことか、弟子たちがまだ理解できていないからでした。自分の十字架を背負って生きていくこと、それは殉教も恐れないことでした。弟子のペトロは、最後は逆さ十字架の刑になって喜んで死んでいった伝説があります。自分の命を救いたいと思って、キリスト者であることを隠すものは、すでに死んでいるのです。それは、十字架の主に感謝しつつも、自分の十字架を負っていないからです。キリスト者であることを隠さず、主の十字架をのべつたえていこう。(福田鳥巣)

2009年9月27日(日)
「神の選択」マルコによる福音書10章17~31節

 一人の人がイエスに尋ねた。「永遠の命を得るにはどうしたらいいのですか」と。イエスは十戒のうち 「殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え」という第五戒から第十戒を知っているはずだ、と答える。何故か宗教上最も重要であるはずの第一戒から第四戒については言及しない。謂わば倫理的な教えのみを取り上げる。イエスにとっては宗教的な戒めを如何に守るか以上に、如何に生きるかが大切なことだった。あるいは宗教的規範の中で「罪人」が生み出されることに対しての批判を持っていたからかも知れない。いずれにせよイエスのもとに歩み寄ってきた一人の人は、全ての戒めを守ってきた人物であったことがうかがえる。実に真面目な人物であったのだろう。だからこそ「永遠の命」についても真剣に知りたかったに違いない。ただし律法を忠実に守ることが出来たのは、それなりの経済力があったからでもある。本当に貧しい人は、安息日だからと言って仕事をしないわけにはいかなかった。そして「罪人」とされてしまった。
 この金持ちの人に対して、イエスは持っているものを売り払いお金を持たない人に分け与えろと言う。が、それは出来ない自分を知った彼は悲しみつつも、イエスのもとをすごすごと引き下がった。
 私は日頃、食べるに窮することなく生きている。住む家もある。テレビも冷蔵庫も車も持っている。パソコンすらある。世界的な視野からすれば、これだけで十分金持ちである。世界の7人に1人、8億3000万人が慢性的な栄養不足の中にあるという。日本における社会格差の増大も野宿者との出会いの中で切実に感じている
。「財産のあるものが神の国にはいるのは難しい」というイエスの言葉に聞くならば、私はおそらく神の国には入れない。すごすごとイエスのもとから去っていかねばならない。私も全て持っているものを売り払う勇気などないのだから。
 一つ救いを感じるのは、イエスが金持ちの人に「あなたに書けているものが一つある」と語りかけたとき、慈しんで、憐れみをもって言われたということであろうか。厳しさの中にも、イエスの慈しみがそこにはあった。「おまえはダメだ」と全否定はしなかった。その愛に応えていきたい。イエスの愛に応え、私は神の国に入れるときが来るだろうか。
(安田)

2009年9月20日(日)
「大志」マタイによる福音書7章7~11節

 「求めなさい。そうすれば与えられる。探しなさい。そうすれば見つかる。門をたたきなさい。そうすれば開かれる」。熱心に執拗に願い求めれば何でも願いが叶うのだとすれば、これほど都合のいい話はない。しかし聖書の示す神は、私たちの祈りを何でもそのまま叶えるわけではなく、むしろ私たちの利己的な願望をうち砕く方でさえある。パウロは自分に与えられた肉体的な障害が取り除かれるよう神に祈ったが、神はその願いを叶えずパウロにこう語った。「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」。神はそのようにパウロの願いをうち砕き、彼の願うところを越えて彼を新たに生かしめていく。
 この聖書の箇所は、いったい何を伝えようとしているのか。押さえておかなければならないのは、この言葉が「山上の説教」のまとめとして語られているという点である。「山上の説教」は、何を「求めよ」と教え、何を「探せ」と教え、どこに通ずる「門をたたけ」と教えられているのか。そこでは人の欠点や罪を探し出し、裁こうとするなと命じられている。その直後に、「探しなさい」と言われているとすれば、そこで探すべきものは他者の欠点や罪であるはずはなく、むしろ反対に他者の人格的な長所であり、尊厳の輝きであるはずだ。同じように貯め込んだり着飾ったりしないカラスや野アザミに学びなさいと言ったそのすぐあとで、富でも名誉でも望むものは何でも祈り求めなさいというはずはなく、そこで求めるべきものは 自ずと 「神の国と神の義」ということになろう。あるいは「門をたたけ」 と言ったすぐあとで、「狭き門から入れ」 と言うわけで、これもまた叩くべき門は自ずと限定されよう。

2009年9月13日(日)
「神の国はだれのもの」マルコによる福音書10章13~16節

 子どもに見せたくないアニメの常に筆頭格となる「クレヨンしんちゃん」。もともと大人向けの漫画であるから仕方ないかもしれないが、大人の世界の風刺が実におもしろい。大人の身勝手さと子どもの身勝手さがぶつかり合いつつ、子どもの自由さが大人を負かしてしまう結果となる。
 マルコ9章42節の「これら小さな者の一人をつまずかせる者は」という言葉の「つまずかせる」とは、障害物を置いて転ばせる、行く手を阻むという意味だと話したが、弟子たちか、イエスのもとに行こうとする子どもを制止したのは、まさに「つまずかせる」ことをしたと言える。9章37節の「子どもを受け入れる」ということは、まさに子どもを来させたイエスの行動に具体的に表された。
 マルコ9章から10章にかけて、大人と子ども、「健常」者と「障害」者、男と女、金持ちと金を持たぬ者、といった社会的に力の強い者と力の弱いものが対比されている。そしてどちらが神の国に入ることができるかを問う。「健康で地位もある金持ちの大人の男」はおそらく最も神の国から遠いということになろう。
 子どものようにならなければ、というが今さら子どもには戻れないのが大人である。しかし、「力」の衣を脱ぎ捨てていくことはできる。年を重ねて、子どものように人に頼らなければ生きられなくなる時、今まで出来ていたことが出来なくなっていく時がそうなのかもしれない。精神科医の香山リカは、著作の中で老いていくことはプラスでもマイナスでもなくあたり前のことと書いているが、イエスに言わせれば神の国に近づいていくこととなるのではないか。「力」をはぎ取りながら、神の国への旅路を歩んでいくことが出来ればと願っている。

2009年9月6日(日)
「離婚はあかんの?」マルコによる福音書10章1~13節

 ファリサイ派の人々がイエスを試そうと「夫が妻を離縁することは律法に適っているか」を問うた。申命記24章では、夫は「妻に何か恥ずべきことを見いだし、気に入らなくなったときは、離縁状を書いて彼女の手に渡し、家を去らせる」と規定されている。この「恥ずべきこと」というのもイエスの時代においても解釈は様々にあった。最も拡大解釈されるなら、料理が下手だという理由でさえ通用したという。いずれにしても「夫」の側から離縁を言い渡すことはできても、「妻」からは離縁を申し出ることについては律法にはない。
 離婚は罪かと言えば、律法上は罪ではないと言うことになる。カトリック教会では、教会法上、離婚は出来ないことになっているが、「婚姻の無効」はできるとなっている。実際には、一部の国を除き、柔軟に対処していることが多いようである。
 イエスは、あえて人の創造が男も女も共にあったことを持ち出しつつ、結婚においては両者が一体となることを語った。ここでの「一体」とは「一つの肉」と直訳できるが、これには自然のままの人間、何者にも縛られない存在という意味が込められている。また、「結びあわせてくださった」という言葉は、馬車などの二頭立ての引き具に一緒に縛り付ける、共にくびきにつなぐ、という意味である。イエスは、結婚においても離婚においても男女が対等になっていない律法に対して疑問を発しているのである。二人はあくまでも対等の存在であり、対等に重荷を担うべきものだと語る。
 では、離婚はいけないのか、という問いとなれば、「しないにこしたことはない」というのがイエスの考えのようだ。だがその時は両者が同様に「くびき」を負わねばならないのだろう。

2009年8月30日(日)
「塩味がいい」マルコによる福音書9章49~50節

 塩を作るには海水を火にくべねばならない。火に焼かれて塩は出来上がる。私たちも時として熱い思い、痛い思いをする。だが、そして出来上がった塩をイエスは良しとしてくださる。塩が溶け込んだ水は透明である。だが火に焼かれた時に、次第に塩が姿を表す。そうやって業火に焼かれて見えてくるものがあるという。人は苦しみを通して味が出てくるというのである。
 「味のある人」という言い方があるが、先週、天に召された一人の方も、苦労人であっただけに、いい塩味を持っていた方だった。「塩はよいもの」だという。あなたのその塩味がいいのだよという。塩と言えども実に個性がある。地方地方の味があり、その一つ一つがよいものだという。
 ポテトチップスで言えば、私は塩味が一番好きである。コンソメ味だとか、とんこつ味だとか、ピザ味とかいろいろあるが、結局は塩味が一番おいしいと思うのである。美味しくしようと様々なものをくわえるのだが、余分に美味しくしようと何かをくわえる、ポテトの味が壊れてしまう。見せかけの味は捨てなさいということなのだろう。飾らなくていい。あなたのその飾らない塩味、それがいいということである。そんな塩を自分自身の内に持ちなさいとイエスは言う。
 そうすれば、互いに平和に過ごせるという。私一人、自分の国、自分の教会だけが平和であってはいけない。「互いに」平和でなければならない。そのためには、お互いにいい塩味を見つけていくことが求められる。それぞれの内の中にある塩は、溶け込んでいる時は見えないけど、それを見つけていくことができた時に「互いに」平和に過ごせるという事なのだろう。

2009年8月23日(日)
「捨てるべきもの」マルコによる福音書9章42~49節

 「これらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、海に投げ込まれてしまう方がはるかによい」と、イエスは過激なことをおっしゃる。“死ね”というのか?まず、「これらの小さな者の一人」とは誰のことか。この一節は37節と対になっていることから、それが「このような子供の一人」(37節)を指していることがわかる。また、弟子たちが「だれがいちばん偉いか」を論じていた文脈からすれば、権力を持たぬ者とも言える。さらに、この後の、「片手」「片足」「一つの目」という言い方に照らせば、それら「障害」を持った者と言うこともできる。つまりは、イエスが共に歩み、接し、食事をし、大切にした人々である。
 「つまずかせる」というと、とかくクリスチャンは信仰的「つまずき」を思い浮かべるが、ここには“信仰を”つまずかせると書いてあるわけではない。原意は「わなを仕掛ける」「わなにかける」「障害物を置いて転ばせる」という言葉である。つまり、まさしく足を引っかけたりして歩くのをじゃまするということである。そのひとが前へ進もうとするのを阻止し、自分より前へ出ることを許さない態度のことである。“おまえは、うしろにいればいいんだ!”と「小さな者」を蹴落としていくような人は、むしろ、海の最も深淵を、最も低い場所に行って見るがよい。あるいは、「両目」「両足」「両方の目」がそろっていることで傲慢になるようなら、「片目」「片足」「一つの目」という、常に人に追い越されていく者の苦しみを自ら味わってみるがよい。そんなことを弟子たちにわからせようとしたのが、ここの過激な言葉である。そんな深淵の底を想像してみよと、イエスは語るが、果たして弟子は理解したのだろうか。

2009年8月16日(日)
「神さま、どこにおられるのですか」ヨハネによる福音書1章35~42節

「イエス様、どこにおられるのですか」「彼らが、『ラビ、どこに泊まっておられるのですか。』と言うと、イエスは、『来なさい。そうすれば分かる』と言われた。彼らはついて行って、どこにイエスが泊まっておられるかを見た。」(ヨハネによる福音書1章38b~39a節)
 舞台はベタニア村である。聖書にはもう一箇所のベタニア村のことが書かれている。そこはマリア、マルタの姉妹が弟ラザロと住んでいた村であり、ナルドの香油が注がれたところでもある。このベタニア村は、ハンセン病の隠れ村であったと言われている。イエスはこれら二つのベタニア村をしばしば訪れていることが分かる。ベタニアとは「貧しい者の家」という意味である。
 この村での出来事である。洗礼者ヨハネが「見よ、この方こそ神の子羊だ」と言うのを聞いた翌日、ヨハネの弟子たち二人がイエスの後についてきた。イエスが「何を求めているのか」と問われたのに対し、二人は「どこに泊まっているのですか」と、なんともトンチンカンな返答をする。イエスに「ついて来なさい。そうすれば分かる」と言われて、二人はついて行き、一緒に泊まる。そして二人は「私たちはメシアに出会った」と言い、その後イエスの弟子になり生涯イエス従っていった。二人がヨハネのもとを離れ、イエスをメシアだと告白し、生涯イエスに従って行こうと決意させられるほどの、決定的な何かがそこで起こったのである。しかし聖書にはそこで何が起きたのかということについては書いていない。
 二人の問いが光をおびてくる。「どこに泊まっているのですか」この「泊まる」という言葉は「とどまる」という意味ももっている。イエスは、貧しい者、悲しむ者と共にいる村という名をもつベタニアに泊まっておられた。当時のユダヤの現状、考え、信仰からいくと、人々が避けていた人々、近寄らなかった人々の所に泊まり、とどまって一緒に生きておられたイエスを見て、二人はイエスをメシアだと告白し、生涯従って行こうと決意したのである。悲しむ者、差別されている者と共にいてくださるイエス、そんなイエスに私たちも従っていきたい。(
東谷 誠)

2009年8月9日(日)
「主イエスの名によって」マルコによる福音書9章38~41節

 弟子の一人ヨハネ(ヨハネ福音書の「ヨハネ」とも洗礼者ヨハネとも別人)には、イエスによって「雷の子ら」とニックネームを与えられた。それほどやかましかったり、かっとなったりする性格だったのかもしれない。ヨハネはいわば「偽イエス」が癒やしを行っているのを見つけ、さも誉めてください、とばかりに「やめさせようとしました!」とイエスに報告をする。
 古代から有名な人物の名前を借りて「○○の名によって」と祈祷したり、癒し行為をすることはよくあったようだ。私たちにしても「主イエスの名によって」祈るわけである。
 イエスは「偽イエス」をとがめようとはしなかった。事実、人を癒しているわけであるから、癒やしができなかった弟子たちよりはましだということかもしれない。又この時既にイエスを殺そうと狙うものもいた。「偽イエス」はむしろイエスを“活かす~生かす”者でさえあった。つまり、イエスの名をどう用いるかということなのだろう。自分の利益のために用いるか、他者の利益のために用いるか。
 聖書が最も禁じるのは、神の名を語ることによって自分が神になりかわったり、自己の権威を高めようとすることである。イエスの名は人を生かすために用いられなければならない。「主イエスの名によって」祈る時もしかりである。
 宗教の違いさえ越えて「一杯の水」を互いに与えあうことが求められている。イエスが求めた「神の国」へと視線を向けるのならば、その道筋は必ずしも一つではなく幾通りもある。私たちの道は、細かったり、途切れ途切れだったり、ちょっと曲がりくねっていいることもあるかもしれないが、それを良しとしたイエスの名によってさらに神の国を追い求めていきたい。

2009年8月2日(日)
「低きに立つ神」マルコによる福音書9章33~37節

 前節で、人に気づかれないようにガリラヤを通っていったイエス等であるが、一行はガリラヤ湖のほとり、カファルナウムまでやってきた。どうやら弟子の誰かの家がここにあったようだ。そんな状況もあってか、弟子たちは「誰が偉いか」などという言い合いをする。そんな弟子たちにイエスは言う。「一番先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい」と。
 マルコ10章では、イエスは「人の子は仕えられるためではなく仕えるために」来たことを宣言する。ここでの「仕える」という語は「給仕する」という意味を持つ言葉である。何千人もの人にパンと魚を分け与え、“最後の晩餐”でもパンを割いたイエスの給仕は、私たちの聖餐とつながっている。
 イエスはそのあと子どもを「真ん中」に立たせ、抱き上げて言う。子どもを受け入れよと。それがイエスを受け入れることなのだという。それが「仕える」ことの中身であるという。子どもは否が応でも大人社会に巻き込まれていく。戦争で最も犠牲になるのも子どもである。そのような意味では大人に仕えざるを得ない。子どもは大人社会を映し出す鏡とも言える。ならば子どもの声は、世の叫びであり、うめきである。大人から見れば「問題児」とされてしまう子らは、大切にされたい、愛されたいと叫んでいる。その声を聴け!そして受け入れよ!とイエスは言う。
 この平行記事でマタイでは「自分を低くして」と記し、ルカでは「最も小さい者」として子どもを描く。子どもの「純粋さ」が語られているわけではない。「最も小さい者」を受け入れることが神を受け入れるということである。神はどこに立っておられるのかということを示す言葉である。

2009年7月26日(日)
「イエスの恐れ」マルコによる福音書9章30~33節

 キューブラ・ロスが著した『死ぬ瞬間』は1969年に出版されて以来、ターミナルケア(末期医療)に関心を寄せる人々にとって「バイブル」とすら呼ばれている。原題は『死とその過程について』となり、死とは長い過程であって特定の瞬間ではない、というのが著者の基本主張である。彼女の解釈によれば、死に行く過程には「否認」「怒り」「延命への取引き」「抑鬱」「受容」という5段階を経ていくという。もちろん各段階がキッチリとあるわけではなく、あるものは重なり合ったり、また次の段階に進んだ後に行きつ戻りつし、「希望」「部分的悲嘆」のプロセスも現れる。人によってはプロセスの1つないしは2つがとぶこともある。「受容」の段階にあって最後の言葉を洩らすこともあるという。
 イエスにあっても様々、思い、葛藤の中で死を受け入れていったことが聖書から読み取れる。自分がどこへ向かおうとしているかを弟子たちに理解してもらえない怒り、できることならこの杯を取りのけてほしいという祈り、しかし最後は自分の定めを受け入れつつも、「我が神、何故我を見捨てしや」と叫ばざるをえない思い。
 イエスが自分を狙うものの多いガリラヤを通ることを恐れたのも死の恐怖を感じていたからに他ならない。イエスとて人としての恐れはあった。だがそのことはむしろ私たちに一つの安堵をもたらす。「死を恐れていいのだ」と。恐れる私たちの思いをイエスは理解して下さる。あたりまえの気持ちをあたりまえとして受け入れることが、最後の「受容」へと私たちを導く。人は弱いけど強い。いや弱いからこそ強いというのが聖書の語ることである。弱い私たちも赦して下さるのだから。
 恐れつつ精一杯生きたイエスの生に聴きたい。

2009年7月19日(日)
「あなたにもできる」マルコによる福音書9章14~29節

 幼い頃から「口から泡を出し、歯ぎしりして体をこわばらせる」という少年が父と共に弟子たちの所に連れられてきた。だが弟子たちはこの子を癒すことができない。
 少年は明らかにてんかん発作の症状を示している。薬によってかなりの程度、発作を抑えることもできるようになっている今日でさえ、てんかんを抱える人たちは差別、偏見のため様々な苦しみを背負っている。私が知る2人の人も、就職の困難さを訴えていた。父からの暴力が原因だと語っていた1人の青年は長く野宿生活を送っていた。出会った頃、彼の目はとてもとがっていた。そんな彼も人を愛することで本来の優しさを取り戻していた。
 カウンセリングの基本は「受容」と「共感」であるという。賀来周一氏によると、さらにキリスト教カウンセリングでは、それだけでも届かない人間の魂に触れるものであると述べる。とりわけ「いやし」は疾患の治癒ができない状態の中にあっても、その状態に肯定的な意味を見いだすことだという。「カウンセリングは、よいことをするのとはちがって、人を愛することです」という言葉が端的にその本質を表している。
 弟子たちが少年を癒すことができなかったのは、祈りがなかったからだとイエスは言う。これはマルコ福音書に流れる弟子たちへの批判も込められている。だが、同時に、裏を返せば「祈りがあれば癒すことができる」とも読める。いや、むしろそう読んでいきたい。ここでのイエスが言う「祈り」とは、言葉だけの祈りではなく、その人を心から思う願いである。まさにその人を愛する気持ちである。
 人を癒すことは簡単ではない。だが、愛をもってすればイエスのみならず誰にでもできるということであろう。

2009年7月12日(日)部落解放祈りの日礼拝
「人を裁いてはならない」レビ記19章18節/ヨハネによる福音書8章1~11節

 イエスをおとしいれようとする質問者に対し、イエスはそれらの者たちこそが問われ、恥じ入るような応答をしている場面がいくつもある。ヨハネ福音書の「引き出されてきた女」にまつわる話はまさにその最も代表的なものといえる。女は「姦淫」の現場を捕らえられたのだという。律法学者に言わせればこれは「死罪」にあたるというわけだ。再三、学者たちは「イエス様、石打ちにしてもいいですか」と問うが、どうやらイエスはそんな質問の相手をするのもめんどくさそうに座り込んで道に何かを書いている。あまりしつこいので言った。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」。
 「隣人を愛しなさい」「赦しなさい」「裁いてはならない」というのがイエスの教えの中心である。このことは私も問われていく。裁判員制度が始まったが、カトリックでは「聖職者は裁判員辞退を」と公式見解を出したそうだ。
 人が人を裁くということと差別とは密接に関わっている。聖書の時代から、弱い立場にあるものが裁かれ、権力者は許されてきた。そもそも犯罪を犯したわけでもないイエスを殺したこと自体が犯罪であるのにそれは裁かれない。神学部を卒業した後、筑豊の川崎町に移り、同和保育所を起ち上げ、同和対策事業に関わってきた松崎一牧師が逮捕されたのも全くの冤罪であった。石打ちにされようとした女にあっても、なぜ女だけが引き出されるのか。律法によれば男も同罪のはずである。弱いものだけが罪に定められることのおかしさをイエスは良しとしなかった。それは神から与えられた等しい命を重んじるということだからである。

2009年7月5日(日)
「真白き衣」マルコによる福音書9章2~13節

 イエスの白い服のイメージは一体どこから来るのかと思っていたが、今さらながら「変貌」の場面がその根拠だったのかもしれないと気づかされる。この真っ白に輝いたというイエスの変貌は何を語ろうとしているのか。時としてイエスの神々しさ、権威、あるいは清さが強調されて解釈されることがある。ペトロが感じたのはまさにそれだったのだろう。だが、弟子批判を語るマルコ福音書の語り口からすれば、むしろそれは否定されるべきこととして書かれている。つまりペトロが「すばらしいことです!」と言ったことの逆に解釈すればよい。
 四国霊場を参拝するお遍路さんの服装は基本として白装束であるらしい。何も持たないで全てを託すことの象徴なのではないかと思う。“白”は「白日に晒す」という言葉もあるように、すべてを明らかにする、全てをさらけ出すという意味でもある。無力の象徴とも言える。イエスは十字架において「自分を救ってみろ」とののしられつつ、なお無力をさらけ出した。この「変貌」はその無力な十字架の準備ではないのか。弟子たちにそれを悟らせるための備えではなかったのか。聖書は力を頼みとすることは否定している。ただ神にのみ力は帰される。なおもイエスにこの世の権力を期待していた弟子たちは、後に徹底的に打ちのめされていった。それに気づいたのは復活のイエスに出会ってからであった。イエスは全てをさらけ出して白くなった。しかし実は“力”を捨て去ったときが一番強い。「北風と太陽」の話を思い出す。
 弟子たちはこの出来事を「心に留めた」という。今はわからなくとも、理解できなくとも、心に留めておきさえすればきっといつかはっと気づく。私もイエスを心に留めたいものである。

2009年6月28日(日)
「命こそ宝」マルコによる福音書8章34~9章1節

 6月23日、沖縄は64年目の「慰霊の日」を迎えた。国体護持のために捨て石にされた沖縄では、幾つもの場所で“集団死”を強制された。渡嘉敷島では346名の犠牲が強いられた。NHKの取材により、今まで固く閉じてきた口を開いたのが金城重栄さんである。
 その出来事は1945年3月28日に起こった。「生きて虜囚の辱めを受けず」と教えられ、アメリカ軍が上陸してきた時には「男女老幼の別なく虐殺している」と吹きこまれた沖縄の人々にとって、日本軍から手榴弾を渡されたということは、すなわち「自決命令だった」という。両親と9歳の妹、4歳の弟・・・愛する家族の命を自らの手で奪ってしまったことに対して「これだけの人間を殺してしまって、いつでも心の中では思い詰めているのです」と語る金城さん。何故、どうして、という思いは、記憶が薄れていく今になっても「その一点だけは、心の中から消えないと思います」と言う。
 イエスは、自分の十字架を負って従いなさい、という。しかし、あまりにも重たい十字架を背負わされた人々がいる。それを降ろしてはいけないと背負いつづける。金城重栄さんの弟は、牧師である金城重明さんである。“その日”は、兄の重栄さんと共に“その出来事”の中にいた。キリスト教は、赦しを語る。しかし、重明さんは安易に赦しを語れない。自らも同じ十字架を背負っているが故に、兄に対しても「あなたは赦されています」と語ることもない。本当は神によって赦されているのだろう。なのに、「赦し」を口にしたら、それはとても軽いものに思えしまうのはどうしてなのか。金城さん兄弟は、なぜ、どうしてと問いつづける。簡単に答えられない、答えてはいけない重さがそこにある。

2009年6月21日(日)
「人の願いと神の思い」マルコによる福音書8章31~33節
 イエスは自らのことを「人の子」と語った。なぞなぞのようなものである。古今東西、「人の子」をめぐって様々な研究もなされてきたのだが、つまりはそんなふうに私たちに考えさせるためにイエスは問いを与えたように感じている。自分で「メシア」を名乗る者は今も絶えない。そんな者こそ偽物だと思う。また、キリスト告白をしたペトロに対し、それは言うな、と戒めたのも、簡単にメシアだ、キリストだと、わかったようなこと言うなと警告しているのだろう。とりわけ「牧師」に対して。
 でもイエス知りたいという思いの中で、聖書を遠くから眺めてみたり、ぐっと近くに引き寄せたりしながら読んでみる。だが、近づけばわかるというものでもないらしい。自分の子どものことは、親が一番わかっていなかったり、あるいは最も近い存在であるはずの自分自身のことを最もわかっていないのは、その自分であったりもする。一番弟子と言われているペトロも、その近さ故に、おごり高ぶりも起因してイエスのことがわからなかった。「死ぬなんて、あきまへん」とイエスをたしなめるペトロに、「サタン、引き下がれ」と厳しく叱るイエス。ただし、この「引き下がれ」という言葉を調べてみると「後ろに回って、帰れ」という意味であることがわかる。癒やしをほどこした人に「家に帰りなさい」と言ったときの言葉と重なっている。「私の背中に回って、もう一度あなたの原点に立ち返りなさい」という言葉が聞こえる。背中がその人を語ると言うことがある。背中におんぶされた時にわかることもある。その人の匂い、ぬくもり。「引き下がれ」とは厳しいが、もしかしたら「おぶってあげよう」と肩をさしだしている言葉なのかもしれない。
2009年6月14日(日)
「イエスとは何者か」マルコによる福音書8章27~30節

 人々は私のことを何者だというか・・・イエスは弟子たちに問うた。洗礼者ヨハネやエリヤの再臨だというものもあれば、預言者の一人だというものもある。それに対しペトロは「あなたこそザ・メシアです」というわけである。新約の本文では“クリストゥス”すなわち「キリスト」だと言っている。がしかし、ペトロの持っているメシアのイメージというのは、この当時一般的であった敵を打ち負かすイスラエルの王、地上的な希望のアイドルとしてのメシアであったのだろう。
 私たちも「イエスこそキリスト」との信仰を告白する。それだけでいいのかと考えさせられる弟子たちとの問答である。ペテロの答えも確かに核心は突いているけど何かが足りない。だから、「君のイメージで私を語ってもらっちゃ困るのだよ」という意味を込めて、口外無用の命を厳しく言い渡した。何が足りないのか。
 福音書においては、イエスは自らのことを「人の子」と呼んだとされる。人がそう言ったとしても、決して自分からメシアであるとか神の子であるとかは語らない。人の子であればこそ、十字架の痛みは人の痛みであった。また人として権力を手に入れようとも思ってはいなかった。だからこそ「本物」であると言えるのである。
 イエスが弟子に問いを投げかけたのは旅の「途中」であったという。イエス一行はいつも移動している。旅をしている。道を歩き続けている。「わたしは道であり、真理であり、命である」というヨハネ福音書の言葉を思い起こす。イエスは常に私たちと共に道を歩いて下さる。曲がりくねり、迷うことも多い狭い道を。そして真理というまっすぐな道を探し続ける私たちに伴って下さる。それが命というものだとイエスは語っている。

2009年6月7日(日)
「『見える』ということ」マルコによる福音書8章22~26節

 マルコによる福音書も中程に来た。この後の死と復活の予告、山上の変貌の記事を堺とする「神であるイエス」と「人間としてのイエス」の狭間にあるとも言える。しかし、弟子たちはどちらのイエスも理解に及ばなかった。では、私たちはどれほど本当の姿が見えていると言えるだろうか。
 ここの記事には、目の見えなかった者が癒されたことが記されている。7章31節からの耳が聞こえない者の癒やしと対をなし、8章14節の「目があっても見えないのか。耳があっても聞こえないのか」というイエスの言葉と関連づけて描かれているのは明かである。
 「見る」ということは、知る、判る、理解する、悟るといった意味合いにも用いられる。しかし、人の目に映っているものこそが、本当のものであるということは決して自明なことではない。私たちの見ているものは、眼球のレンズを通し、網膜のセンサーに造影された光を脳によって解析したものである。脳が判断しているだけのことであるからいわゆる「目の錯覚」も起こる。一つのものを見ても一人一人映り方も解析のされ方も異なる。なのに見えていることで判ったつもりになってしまう。
 案外、「目の見えない者」であったればこそ、イエスの本当の姿が「見えた」のかもしれない。しかし、本当のイエスの姿は秘密にされているのだと福音書は語る。癒された者に対しては村に戻らず家に帰るように促される。それでも幸いなことに、私たち聖書を読むものはその秘密を知らされている。そういう意味ではイエスを「見る」ことができる可能性は与えられている。とはいえ、全て「見えた」などと思ってはならない。全て判ってしまったら聖書を読む楽しみも失われてしまうだろう。

2009年5月31日(日)
「これは奇跡ではない」マルコによる福音書8章1~21節

 イエスは再び4千人もの人々と共に食事をした。7つのパンとわずかな魚で皆が満腹したという。まさに奇跡とも言うべき出来事である。
 だが、そぐその後のファリサイ人との論争で「今の時代の者たちには、決してしるしは与えられない」という。ファリサイ派の人々は、何か目に見える奇跡を起こしてくださいよ、そうしたらあなたがメシアであると信じましょう、などとメシアの証拠を求めてきたのだろう。そこからすればわずかの食料で皆が満ち足りたというのは、充分な証拠にはならないのか?
 イエスは、何千人もの人々との共食を“奇跡(しるし)”とはとらえなかったのではないだろうか。むしろ、神の国での“あたりまえ”の光景として描いたのではないか。
 マルコ7章31節から8章26節は二重のサンドイッチ形式がとられている。中心に“しるし”についての論争を、その両側にパンについて語りを、そしてさらにその外側から「耳の聞こえないもの」と「盲人」の癒し物語ではさんでいる。これら全体から、イエスにとっての“奇跡”を理解しなければならない。
 私たちにとっての“常識”とイエスにとっての“あたりまえ”は違っていた。放蕩息子を宴会でもって迎え入れることさえ“あたりまえ”と考える。私たちの“常識”ではありえない。癒やしの物語ですら、イエスにとってはあたりまえの出来事となる。神からすれば、共に少ないものを分かち合って、全ての人が満ち足りていくのが、あたりまえのことなのである。しかし、そんなあたりまえのことが私たちにはなかなかできない。
 ペンテコステを迎えた。神の力が一人一人に働くことも、神からすればあたりまえのこと。言葉の違う者がわかり合っていくことさえも、これまたあたりまえということである。

2009年5月24日(日)
「エッファタ~開け」マルコによる福音書7章31~37節

 イエスは「耳が聞こえず舌の回らない人」を癒したと語られている。だが、謎の多い物語である。彼を連れてきた「人々」とはどんな人だったのか。なぜイエスは人々から彼を切り離して癒しの業を行ったのか。何より、「エッファタ(開け)」と言った瞬間は彼はまだ聞こえていないはずではないか。彼一人連れ出されているのに、なぜこの話が伝わっているのか。
 イエスは天を仰ぎ、深く息をついたという。深呼吸ではない。ここでは「ため息をつく」「うめく」「苦しみもだえ嘆く」といった意味合いの言葉が用いられている。この人の苦しみを思い、イエス自らもその苦しみを負い、自分の痛みとして嘆息せざるを得なかった。命の共感がそこにはある。
 この人の苦しみとは何だったのか。私はもしかしたら彼に聴覚はあったのではないかと考えて見た。人は聴覚器官が正常であっても、聞こえないようになってしまうことはある。あるいは聞こえていても何も答えられない、語れない、反応すらできなくときもある。人の言葉を聞きたくないと思う時もある。失語症という病も存在する。まわりの人々は「聞こえていないのだ」判断する。だが彼をあざける言葉は心に入ってくる。こんな苦しみはない。心は一層閉ざされていく。そう考えると、彼を連れてきた人々というのも本当に彼を救おうと意図していたのかもあやしい。
 そんな人を全人格的に解放する言葉、それが「エッファタ~開け」という宣言であったのではないだろうか。彼の苦しみを理解しない人々から切り離し、一人の人格と向かい合った。だから彼はイエスとの出会いによって、心を開いてもいいのだと感じ取った。
 いやでもこれは私の仮説である。本当のことはわからない。

2009年5月17日(日)
「イエスの失敗」マルコによる福音書7章24~30節

 ファリサイ派や律法学者との論争において、彼らの律法の用い方に異を唱えるということが、自らの命を危険にさらすことであることを知っていたイエスは、身を隠すためであったのか、あるいは疲れを癒すためであったのか、ガリラヤ湖から遠く離れた地中海添いのティルスの町にやってくる。いわゆる「異邦の地」である。
 しかし身を隠すことにも失敗してしまった。イエスがいることは人々に知られ、そこへギリシア人の女が娘の癒やしを求めてやってくる。女の懇願に対し、イエスは「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない。」という。「子供」とはイスラエルの民のこと、「小犬」とは異邦人のことである。
 人をほめる時に「犬」とは言わない。むしろ侮蔑の表現である。この時点では、イエスがまだ異邦人に対する差別から完全には解放されていないことを示している。だが女はそのイエスの言葉の中にもイエスの一陣の優しさ、あるいはためらいを聴きとったのだろう。イエスはあえて「小犬」と言った。一般的な侮蔑の意味の強い「犬(クオーン)」ではなく、家族としての飼い犬を表す言葉(クナピオン)を選んだのである。ならば!と女は食らいつく。飼い犬と言えども愛すべき大切な存在ではないのですか!と。
 イエスの負けである。この女の言葉によって、自分の狭さに気づかされてしまった。イエスの方が変えられていったのである。私は自分の失敗を認め、時としては考え方を変えるとこのできるイエスに神の意思を感じる。神も意思を変えることがある。ならば私たちも時としては変わっていくことが許されているのだということを知る。イエスはむしろ解放の恵みを得たのだから。

2009年5月10日(日)
「汚いと言うな」マルコによる福音書7章1~23節

 イエスの弟子たちが手を洗わないで食事をした。それを批判したのが律法学者やファリサイ派の人々であった。律法によって「汚れている」とされたものに触れた手で食物に触ればその食べ物も「汚れる」というのが当時の「言い伝え」であった。衛生上の清潔さを問題にしているのではない。問題は宗教理念としての「ケガレ」であった。律法学者やファリサイ派のみならず、人々の習慣となっていたのだろう。これに対して、イエスは、そんなことは「神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守っている」にすぎないのだという。「汚れた手」など神の掟にはないのだというに等しい。
 さらに食物規定に関してもイエスは物言う。「人の体に入るもので人を汚すものはない」と。食ったものは腹の中に入って出ていくだけだ、というのである。原文に照らせば「便所に出て行く」「便所が全ての食べ物を清める」と言っているのである。かなり過激な言葉である。
 これらの言動は律法を忠実に守ろうとする人々からすれば、神の掟の否定として映ったことだろう。宗教的規範を根本から問い直すものであったことは確かである。故に宗教支配体制を固持する者たちによってイエスは殺されていく。つまり、イエスの一つ一つの言葉は命を張ったものであったということである。
 現代の日本では衛生環境が影響する病気が少なくなったのは確かである。しかし、昨今の清潔至上主義にはどこかしらゆがみを感じる。心まで蝕んでいる。「汚い」ものを排除する社会を生んできた。それはまさに宗教観念にも似た社会通念=「人の言い伝え」になっている。もしかしたらイエスの言葉は現代社会にこそ問いを発しているのかもしれない。

2009年5月3日(日)
「隣人と共に歩む」ガラテヤの信徒への手紙5章13~15節

 先の教会総会において2009年度の年間標語を「隣人と共に歩む」とすることを決めた。教会に集う者たちが、互いに支え合い、補い合っていきつつ、主イエス問うたように「誰と隣人になるか」を考えていきたい。
 「隣人」とはだれを指すのか。旧約においてはユダヤ人同胞こそが隣人と考えられていた。いわゆる“異邦人”には守られる権利も保護規定も適用されないと考えられていたのである。
 イエスは蔑まれていたサマリア人が強盗に襲われたユダヤ人を助けるたとえ話を通して、「隣人となる」可能性を示した。「良きサマリア人」のたとえである。「隣人」と訳される言葉は新約聖書のギリシャ語ではプレシオンという語が用いられている。「近く」「接近して」という言葉から派生した語である。遠くにあったものが近い存在となっていく時こそ隣人と呼ぶにふさわしい。今は遠い存在であるかもしれない世界の小さな声に耳を傾けて隣人となることは可能なのである。
 パウロは「律法全体は、『隣人を自分のように愛しなさい』という一句によって全うされる」という。イエスが最も大切な掟と語ったレビ記の教えである。聖書全体に、この言葉が通奏低音として流れている。ただし、ヤコブの手紙は厳しいことを言う。そういいながら教会で分け隔てしているなら神の裁きが下るといのである。最も身近なところから始まり、最も遠いところに及んでいく「隣人」。そしてまた足下を問い返されていく。この一年のいずみ教会の歩みだけに留まらず、全ての教会が、これから先ずっと心していかねばならないのが「隣人を愛する」ということだろう。聖書の最も根源的な教えに聴いていく私たちでありたい。

2009年4月26日(日)
「漕ぎ出せ」マルコによる福音書6章45~52節

 数千人の人々と共にパンと魚を食した後、イエスは弟子たちを舟に乗せた。だが、逆風のため舟は思うように進まず、夕方から夜中までガリラヤ湖の上を漂うこととなってします。午前3時を過ぎた頃、真っ暗な湖上に動く人影。弟子たちが幽霊だと思うってしまうのも無理はなかったかもしれない。
 そんな弟子たちにイエスは声をかける「安心しなさい。わたしがいる。恐れることはないんだ」と。だから自分で漕ぎなさい。逆風が吹いてくることもある、暗くなって前が見えなくなることもある、漕いでも漕いでも進まないような時もある、でも自分の力で漕ぎ出していくことに恐れを感じることはないのだよ、わたしは常に見守っているのだから。そんなイエスの声を感じる。
 邦題で「漕げよマイケル」という歌がある。英語の原詞では“Michael row the boat ashore, Hallelujah”という歌い出しの曲である。実はこの歌、1961年のビルボードのNo.1ヒットなのである。その時に歌ったのはハイウェイメンというグループ。ピート・シーガーやPP&Mも歌っている。原曲は19世紀のトラディショナルフォークでアフリカから奴隷としてジョージア諸島に送られた黒人たちが歌っていたゴスペルソングである。ジョージア諸島で船こぎの労働にかせたれた人々は、出エジプトのヨルダン川越えを自分たちの身に重ねた。この向こうに約束された解放の地があるのだ、と自らに言い聞かせた。
 従順さを身につけることを意図し、半ば押しつけられたキリスト教をアフリカの民は自分たちの解放の信仰に変えていった。聖書の言葉を自分のものに変えていくことは許されているのである。イエスの思いを自分のものとして漕ぎ出していきたい。(
安田)

2009年4月12日(日)
「再生」(イースター礼拝)ヨハネによる福音書20章11~18節

 福音書では、イエスの復活を最初に知らされたのは女性たちであったことが記されている。しかし、そこに誰と誰がいたのかは、一致しているわけではない。その中でも必ず登場してくる女性がいる。マグダラのマリアである。
 復活のイエスは「なぜ、泣いているのか」とマリアに声をかける。「泣くことはないよ」とのやさしさを感じる。しかし「すがりつくのはよしなさい」とも言う。なんとも冷たい言葉にも聞こえる。だがこれは決してマリアを拒否しているのではない。ここは直訳すれば「今、すがっているのはやめなさい」と訳せる。「すがってはいけない」という禁止ではないのである。今、あなたがしなければならない大切なことがあるのだよ、とマリアを促す。イエスは男の弟子たちに復活を告げる役割をマリアに与えた。
 マリアは常に「わたしの主」「わたしが引き取ります」「わたしは見ました」と「わたし」を大切にした。自分を大切にする人だったと感じる。ありのままの自分の姿で生きていたのがマリアであったのではないかと感じさせる。泣く時は泣き、思いのままに生きたマリアをイエスもよしとした。
 復活というのは、ありのままの自分の姿を受け入れるという出来事でもある。弟子たちにしても自分の弱さを認め、なおかつそれでも許されていることを知ったのが十字架と復活の出来事であった。
 国語辞典で「再生」を引くと①死にかかっていたものが生き返ること。②再びこの世に生まれること。③精神的に生れかわること、といった意味が最初に出てくる。リサイクルは4番目、録音・録画の「再生」は5番目である。復活の出来事をよく表しているように思う。まさに再び生きるということが「復活」であったと知らされる。
(安田)

2009年4月5日(日)
「苦しみよ去れ」ルカによる福音書22章39~46節

 イエスは、逮捕される前、ゲッセマネという場所で祈ったことがマタイ、マルコ福音書には記されている。ルカ福音書では「オリーブ山」と書かれているのだが、「ゲッセマネ」という言葉は、オリーブの油をしぼる道具の名から来ていることを考えると、オリーブ畑がある丘にゲッセマネと呼ばれる場所(あるいは小屋?)があったと考えることができる。そこでイエスは血を流すごとく汗を滴らせながら、まさに身をしぼるように祈った。
死に直面した時の悩みは、私には想像の範囲を超えている。イエスはまことの神でありつつ、まことの人であったゆえに、まことに悩んだ。でき得ることなら、この苦しみを取り去ってほしい・・・しかし、全てを神に委ねるしかない。イエスの葛藤がここに表されている。
 信仰が強ければ悩みが消え去るわけではない。イエスが悩み苦しんだように、私たちも大いに悩み、葛藤を抱えることが許されているのである。なおかつ苦しみを取り去ってくださいと祈ることも許されている。イエスがそう祈ったのだから。だがそれでも、時として悩み苦しみそのものはなくならないことはしばしば起こりうる。そんな時、それも御心であると信じることで、勇気をいただいていくことができる。苦しみを取り去る、というのは、苦しみそのものをなくすということではなく、苦しみをも益と変えていくことによって、苦しみが苦しみでなくなっていくということかもしれない。人のおかした過ちによる不条理な苦しみは無くしていきたいのだが、それでも人はきっと悩み続ける。大丈夫。福音書は苦しみで終わらないことを語っている。十字架で終わらないのだ。すべて復活で締めくくられているのである。(安田和人)

2009年3月29日(日)
「偉くなりたい」マタイによる福音書20章20~28節
 イエス様の時代「救い主」とは異邦人を打ち滅ぼしイスラエル王国を再建する者を指した。それはすなわち「王」であり、権力者に他ならない。その王座の左右に座らせてほしいと願い出た弟子達は、単純に偉くなりたかったのだろう。「偉い」とは、高く、大きく、強いイメージを持つ。逆に、偉くない人は低く、小さく、弱い者を指す。イエス様の生きた時代、その高低、大小、強弱の対立する社会の構造は、疑い様の無いものだった。イエス様の、偉くなりたい者は皆に仕える者になりなさい、との言葉はそのような既存の価値観を打ち壊すものだった。
 小さく弱い者こそ救われるとすれば、それは価値観が逆転しただけで、結局救われないもの(高く、強く、大きい者)は残ってしまう。イエスはそのように価値観を転倒させようとしたのでもなかった。イスラエル人も異邦人も皆救われるとしたイエス様の福音は、高さも低さも、強さも弱さも、大きさも小ささも、尊さも卑しさも、聖さも穢れもない、全てが神によって良しとされることだった。
 現代の社会も、弟子達が囚われていた価値観から抜け出せてはいない。偉くなり、権力的にも、経済的にも人の上に立つ事が求められる。教会も、常に規模や経済的な拡大を求められている。その様な「当たり前」の価値観をもう一度見直すように、この記事は促しているように思える。人の求めるものと、イエス様の見ていたものとはあまりにもかけ離れているため、私たちは「自分が何を願っているか、分かっていない。」自らの常識や価値観にイエスを閉じ込めるのではなく、イエスの言葉によって自らを作り上げるものとなりたい。
(岡本拓也)
2009年3月22日(日)
「いっしょに食べよう」マルコによる福音書6:30~44

 イエスは食べることが好きであったらしい。十字架の前に弟子たちと食し、復活したかと思えばまた弟子たちの前で食べている。「大食漢で大酒飲み」と非難さえされている。中でも数千人の人と一緒に食べたという出来事は多くの人の記憶に留まったようだ。先日、南海地区の生徒の集いがあり野外で3種類の鍋を作り、80人ほどの老若男女が食事をした。うまくいったものでちょうど皆がお腹がふくれ、そして鍋は空になった。残すことが嫌いな私としては満足であった。「いのちの食べかた」というドイツのドキュメント映画を観たのだが、私たちが食している肉や野菜がどのようにして私たちの口に運ばれてくるかという現実を目の当たりにした。一切、解説も字幕もセリフもない映像に圧倒された。イエスはお腹が空いた人々を前にして、弟子たちに「お前たちがお前たちが食べ物を用意しろ」という。弟子たちは、いや、そんな無茶な、と始めからできっこないと決めつける。では私がやってみようとばかりに5つのパンと2匹の魚を配り始める。そして皆が満腹した。日本の食料自給率は、先進国中でも最低の39%であるにもかかわらず、金額に換算すると11兆1000億円もの残飯を出しているという。世界では8億人が栄養失調状態であり、年間900万人が餓死している。私たちは、いのちを養うために、いのちを粗末にしてきた。「あなたたちが彼らに食べ物を与えなさい」というイエスの言葉は、現代の私たちに向けられた問いかもしれない。(安田)

2009年3月15日(日)
「誰が殺したのか」マルコによる福音書6:30~44

 ヘロデ大王の息子、ヘロデ・アンティパスは自分の兄弟の妻であるヘロディアと大恋愛をして駆け落ち同然に結婚したらしい。ガリラヤ地方の領主であったこのヘロデには政略結婚で一緒にさせられた妻もいた。これを律法違反だと批判したのが洗礼者ヨハネ。彼は捕らえられ、首を切られていく。聖書では妻ヘロディアの索のように描かれているが、歴史書では政治的目的であったとされている。ヨハネ殺害の責任を妻になすりつけたとも読める。イエスの十字架にしても、ユダヤ教指導者はローマにイエスを引き渡し、ローマの役人ピラトはユダヤ人民衆に責任を負わせていく。私たちは誰にイエスの十字架の責任をなすりつけようとしているだろうか。自分の過ちは過ちとして直視せねば。赦されて生かされているという安心が保障されているのだから。(安田)